日常生活の中でもっと「気づき」の練習がしたいよね。
今日は母親の病院受診の付き添いで、会社は有給。せっかくなのでコストコの方に行き、母親の分の家族カードを作って、色々と日常品を買い物。その後は、パルコシティに行ってコーヒー豆を買い、浦添のエナジック天然温泉アロマに行き、サウナで整えてきた。
僕は普段使いのコーヒー豆については、「セラードコーヒー」を使ってるのだが、そちらで今日はエチオピアのゲイシャを見つけた。早速、店員さんに淹れてもらったのだが、ゲイシャ種らしく紅茶のニュアンスのあるコーヒー豆で、すっごく優雅な感じ。
まぁ、僕は毎朝のルーチンで会社に行く前にコーヒー豆を引いてハンドドリップでコーヒーを淹れるのである。朝に飲むコーヒーについては自分で淹れるようにしてるのだけど、コーヒー豆についてはあまりケチらないようにして良い豆を使うようにしてる。朝から良いコーヒーが淹れられるとすごく良い日な感じがするしね。やっぱり生活を楽しむためにはこういう潤いは必要だ。
今はサウナに入ってきて非常に落ち着いた気分であり、あんまり神経に触るようなものを見たくもないし、書きたくもない。やっぱり自分の悪癖だと思うのだけど、いまだに冷笑だったりとか露悪癖については抜けてないようであり、なにかにつけて他人を揶揄するようなことばかりを書いてるような気がするのである。
こういうのは他人と自分を比較する、仏教で言うところの「慢」というのがいまだに残ってるのだろうなーと思うんである。僕は他人のことなどどうでもいい、と書きつつも、根本的なところで他人の目を気にして行動する癖が残っているようだ。他人と自分を比較して、劣等感を感じたりとか優越感を感じるクセが、まだあるようである。
僕は普段から毎日瞑想をやってたりするのだけど、瞑想をすると自分の内心で何を考えてるか分かりやすくなる。そこで、僕は日々の生活の中で自分の心がどんな風に反応するのか観察してたりするのだけど、他人と自分を比較すると不幸な気分にしかならないような気がするのである。
サウナに入っていても脳が強制的に瞑想状態に入る感じであり、そういういろんな囚われから解放されて自分を客観視して思うのだけど、他人が自分のことをどう思ってると考えたりとか、嫌いな人のことを延々と脳内でdisっていたりとか、普段の僕の思考の中では、そういう他人由来の思考でリソースを無駄にしてるような所がある。
逆に、自分が幸せを感じる時ってどんな時だろうと考えると、ドライブをしながら音楽を聴いて音楽に完全に没頭してる時とか、完成した自分の小説を自分で読み返してる時が幸せだなと思う。
瞑想などを研究するために、いろんなマインドフルネス瞑想や仏教に関する本などを読んだりもするんだけど、脳の中でどうでも良い他人由来の「妄想」を持ってるとやっぱり不幸な気分になるらしい。これは「モンキーマインド」とか「マインドワンダリング」と言ったりするのだけど、どうでも良いことばかりをフラフラと考えると自分が不幸なことばかりにフォーカスが当たって、不幸せな気分になるのが人間の脳の特性にはあるらしい。
どうも、ブッダはそう言う人間の脳の特性について知っていたらしくて、普段の生活の中でも体の感覚に常に注目していろというようなことを言っている。
「外に出るとき、家に帰るとき、前後を見たり、体を動かしたり、服を着たり、食べ物を口に入れるとき、用を足すとき、歩くとき、座るとき、その他、目が覚めている間は、サティをよく働かせていなさい」 ──ブッダ最後の旅にて・弟子たちに 長部経典
草薙龍瞬. これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活 (p.36). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
人間の脳というのは、常にいろんな刺激に反応し続けてるのだけど、その反応に対して縛られてしまうとそこからいろんな連想ゲームが始まってしまい、そのうち不幸な妄想が広がってくる。
これは瞑想のテクニックの一つなのだけど、このグルグル思考の連想ゲームを止めようと思うなら「感情にも思考にもフォーカスを当てない」のが大事なのである。これは、体の感覚や呼吸などにフォーカスを当てて、妄想が自然に止まるまで妄想に何の心的エネルギーも与えないようにするのである。
おそらく、ブッダが言っている「目が覚めている時は、サティをよく働かせろ」というのは、起きている間、ずっと体の感覚にフォーカスを当てろと言ってるのである。仏教の修行僧の練習にも「四念処」と言って、そういう種類の練習があるらしいけど、常に呼吸や体の一部の感覚に意識を向ける修行があるらしい。
多分、僕が普段から悩んでるこの他人に対してグルグル妄想し続けることに関しても、その妄想にエネルギーを与えないように体の感覚にフォーカスを当てることがポイントなんではないかと思うのだ。あとは、無用なデジタル刺激を減らすのも重要。SNSにせよブログにせよこれは顕著なんだけど、他人と比較してしまうような情報は徹底的に自分に入れないようにした方がいい。これが原因で嫌な気分になることも多いので、あれは多分、煩悩が刺激されてるんだと思う。
まぁ、ブログを毎日書いてるんだからデジタル刺激を断つなんて無理なんだけどね。どうも最近はまた、人間嫌いの発作が再発してきてるなぁ。どうも僕には、たまに世捨て人願望みたいなものが強く出ることがある。最近またその悪癖が再発してるみたい。我ながらしょうもないことである。