超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

気分が悪いなら茶でも出してさっさと帰ってもらうといいです。

気分が悪いなら茶でも出してさっさと帰ってもらうといいです。


今日は平日であるけど、会社は有給。母親を長期リハビリ施設に転院させるために、朝から妹と一緒に施設・銀行・役所と走り回っていた。


気分的には奈落という感じ。今日はなんか知らんけど朝からずっと気分が低調であり、このブログを書いてる時もダウナーな感じが続いている。ちょっとまー、あんま今の考えてることとかをそのまま書くと、自尊心へのダメージが入りそうな嫌な雰囲気を感じるので、そこまで気分は掘り下げない。


ひとまず今日は夕方はやる気がなさすぎたのでミスドに入って、ドーナツなんかを食べたりしてる。


なんか知らんけど今日は朝から脳の調子が悪い。ダニエル・パウターの「Bad day」をYoutubeで検索して聴いたりなんかしてたよ。


www.youtube.com


こういう何やってもダメな日というのは、人生の中で度々訪れる。気分を変えようと思ってドーナツを食べたりとか、帰ってきて一時間寝てもまだダメであり、このブログを書いたらさっさと寝るモードで風呂に入ったり皿を洗ったりしようと思う。


なんとなく、意味もよく分からんけど「喫茶去」だとか言ってやりたくなる。まあ、こういう日は「ままある」のである。そういう一日になんらかの理由を求めて深掘りし始めると、「人生はクソだー」とかいつもの僕のが叫んでるようなトーンになりがちなのである。


人生山あり谷あり。良いこともあれば悪いこともある。そのどちらにも特に理由というのはなく、ただ通り過ぎていく状態なんである。


ずっと続く良いこともなければ、ずっと続く悪夢もない。良くも悪くも、状態というのは一過性であり、今が苦しいと思っていても、後からその頃と振り返ってみると「そんなこともあったな」と思い出させてくれる。


なんとなく、人生を40年ばかしも生きてみると、そいういうのは身体感覚でわかるようになるよね。絶望するにも体力がいるというか、疲れる日に「疲れる疲れる」と嘆く体力はもはやなく、疲れたら寝床にぶっつぶれてくたばってるだけだ。


気分ってさ、脳の化学物質が生み出してる単なる現象なんすよ。脳みそがその気分に囚われてる時は「人生終わりだ!」という警報が大音量で響いているんだけど、これが一度寝て起きるとどうでも良くなってることもよくある。


気分に振り回されるアホらしさ、というのは身をもって学んだ。楽しい気分も悲しい気分も、長くは続かない。気分に囚われてる時の人間は、その状態というのが永遠に続いていくように思うかもしれないけど、飴玉一個を口に放り込むだけで治ることもある。


気分ってさ、騒がしい迷惑な友人みたいなところがあって、目の前で大騒ぎしてる時はそれが全てのような気がする。でも人生全てのおいて、その気分がもたらす意味というのはごく小さなものであり、多くの場合はあんまり意味もない。


だからまぁ、そういう迷惑な客が来たときは「まぁ茶でも飲んで帰れよ」と茶でも出しとけというのが「喫茶去」である。いいことも悪いことも、さしてそれ自体にあんまり意味はなく、全ては自分を通過していくことなので、「そんなもんか」と眺めておけばいい。


気分が悪いことに理由を求めて、自尊心にダメージを入れないことだね。僕が気をつけてるのはそれぐらいである。気分が悪いのには理由はないのである。真面目な人はそれの原因に「自分のせい」と理由をつけて、「だから自分は大したことない」と因果関係を求めがち。


「自分は自分、気分は気分」である。病んだ気分を自分の自尊心と結びつけて、やたら悲観的になってる人を見かけたりもするが、気分なんざ天気でも変わる。


というか、自分が考えている自分の価値と、本当の自分の価値って必ずしも一致しない。自分の想像だけで、自分が世界で一番偉いとも思えるし、生きてる価値がないと諦めもする。人間の脳というのは、全くもって度し難い。


僕が言ってることは、認知行動療法と仏教のごった煮のようなものであるが、まぁ、こういう考え方を知ってるだけで生きることが楽になることもあるんである。僕はバッドデイにはこういう文章をブログで書いたりしたのちに、さっさと寝てしまうことにする。

プライバシーポリシー免責事項