超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

評価軸を他人にすると生きるのが辛くなる。

評価軸を他人にすると生きるのが辛くなる。


今日は、「自分の評価軸をどこに置くか」という話をしておきたい。


ここ最近ずっと体調が悪いと言い続けていたけど、金曜の朝になってようやく少し戻ってきた。どうも先週の、神経が張り詰めた仕事と月曜日の飲み会のコンボが効いていたらしい。ああいうのは後からじわじわ来る。しばらく持っていかれる感じ、あれはもう避けようがないなと思う。酒を飲むのはちょっと考えようと思う。


ただ、体調が悪い話ばかりしていても仕方ない。読んでる側も心配するし、自分も気分が良くなるわけじゃない。だから少し話題を変える。


昨日はイラストを進めていた。リヴィアとカエサルのやつ。ペン入れまでは終わったから、あとは色塗り。アニメ塗りにするか、水彩っぽくいくかで少し迷っている。アニメ塗りはあまり得意じゃないから、水彩でいくのが現実的かなという気もしている。iPadのクリスタでやると、水彩の質感が思ったより良くて、これはこれでアリだなと感じている。


PC版とはまた違う道具感があって、同じソフトでも別物みたいだ。入り抜きもまだ全然使いこなせていないし、線がどうにも平坦で迫力が出ない。このあたりは単純に練習不足だなと思う。まあ、課題が見えているだけマシだ。


で、この絵が終わったらどうするか。小説に戻るか、プログラミングを進めるか、その辺りをぼんやり考えている。開発系はやりたいことが溜まっていて、日々の振り返りツールをAIで作るとか、アプリ開発とか、アイデアはいくつかある。ただ、全部一気にはできない。結局は一つずつやるしかない。


ここで本題に戻る。


最近改めて思うのは、「自分は何を基準に満足するのか」ということだ。副業の収益化だとか、成果だとか、そういう現実的な問題はもちろんある。でもそれと同時に、自分の中で納得できているかどうか、そこを無視するとしんどくなる。


人と比べてどうか、評価されているかどうか、それを軸にすると、途端に苦しくなる。自分は割とマイペースでやっている方だと思うけど、それでもどこかで他人の評価を気にしている。そのくせ、自分の中の基準はやたら高い。これが一番厄介だ。


カウンセリングやブログを書きながら気づいたのは、「自分勝手にやっているのに、評価軸が他人にある」というねじれだ。これが自己肯定感を下げている原因の一つなんだと思う。


本当は単純で、自分がやったことに自分で納得できればいいはずなんだ。でもそれを他人に委ねるから、「まだ足りない」「大したことない」となる。


だから結局のところ、やるべきことは一つで、「自分がやったことをちゃんと評価する」ことだと思う。


絵も、プログラミングも、小説も、全部納得いかない、で終わらせるのは簡単だけど、それだとずっと苦しいままだ。時間もコストもかけて、ちゃんと形にしている。それ自体はもっと評価していい。


複数のことを組み合わせてやれている時点で、わりと希少なことをやっているはずなんだ。それを「できて当たり前」で片付けるのは、さすがに自分に厳しすぎる。


ナルシストになる必要はない。でも、自分のやったことを自分で褒める。それくらいはやっていい。むしろ、それをやらないと普通に生きづらい。


焦りはあるし、まだ足りないとも思う。でも、だからこそ一つずつやる。そして、その一つ一つに対して、ちゃんと「やった」と言える状態にしていく。


結局、自分の人生に納得できるかどうかは、そこにかかっているんだと思う。

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