超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

人生を語るのならそういう器に盛るべきだよね。

人生を語るのならそういう器に盛るべきだよね。


今日は午前中はダラダラとして午後イチぐらいに選挙に行ってきた。母親も連れていたのでその後レストランで食事をしてくるなど。午後は帰ってきたのちは部屋の掃除をして、それから玲と真輝の一作目の「名無しの幽霊と感情を忘れた君」のセンシティブなシーンの直しなどをやっていた。


選挙の日というのはなぜか家族で食事をしにいく日なんだよね。これは昔からこうなっており、選挙が終わるとそこらへんのファミリーレストランでちょっと良い食事をするのである。特に理由もない気がする。


そこから帰ってきて、大五郎の猫砂がそろそろ汚くなっていたので新しいものに変えた。そして部屋を掃き掃除するなどして、そこからコーヒーを淹れてリストのピアノなどを流しつつ小説を書くなど。


「名無しの幽霊と感情を忘れた君」はねー。ニュースレターで読んでもらったところ、センシティブすぎると怒られが発生した箇所があったので、あそこの方と前後の展開で視点が変わるので、そこをカメラワークで読者が離脱をしないようにシーンを補強するなど。


なんというか、自分の書いたうちの子の小説なのだけど、なんというかリライトしたこの作品はわりかしじっとりと湿度が高いな。いや、あの二人は主に姉妹愛なんでそっち系の百合の感情の持ち込みはあまりやりたくないのだけど、僕は創作がてなりで暴走するとすぐにそっち方面に走るのである。


もともと、僕が小説を書き始めたのは東方二次創作のカップリング小説からが創作のスタートなので、思いつきでキャラクターを書いていくとどうしてもそっちよりになってしまうのだよなー。まぁ別に反省はしてない。


むしろ、そっち系の癖に全振りをして作品を書きまくればいいのではないか? などと思ったりもするんだけど、書き上げた作品を読み返して思うことは、「僕は悪い人生を送りすぎたな」ということである。


物語を書くというのは、ハッピーエンドの作品でも一捻りふたひねり程度は物語の底にキャラクターを追い込まないとならないのだけど、僕はそのキャラクターを絶望のどん底に追い込むのをあまりにもセンシティブなテーマでやりすぎる傾向がある。


どーすんだって、どうしようもないけどさ、ラノベに送る作品でやることではないよな。書き終えてちょっと冷めた目で推敲をするために読んだら、まぁある程度は他人の目で見れるから分かる。


僕は東方二次創作の小説なんかでも似たようなことをやったけど、生死観とか人生観を二次創作小説にぶち込むなという話である。こういうのをやりたいのなら、それにあった器を選ぶべきであり、オタコンテンツでこういう現実を直視するような内容を打ち込むと読者の心が割れてしまうだろう。


なーんかさ、結局そういうのが好きなんだよね。人間を見る目がひねくれすぎてるというか、「人が生きるならどう生きるべきか?」というのをアニメとかそういうのでやってしまってる感じというか、下手にラノベに哲学をぶっ込みすぎてもワナビー的だよなーと思うんだよな。


まぁ、どうすべきというのはさっぱりわからん。少なくとも僕は最近は一般文芸の方に書く作品の方向性を変えようと思ってる。もっと人生の普遍的なものを書きたいという欲求があるし、自分の思想を受け入れて読んでもらおうと思うのならそれに向いた器があるんじゃないかと思うんである。


簡単に一言で言うと「ラノベで人生語ってもなー」という感じ。いや、そんなもんは好き好きなんですけど、少なくとも受け入れられる土壌とは違うよなーと言う感じ。それもアニメとか漫画のような日本のオタクコンテンツを舐めすぎな気もするけど、マーケットがそう言う作品を必要としてるか分からんのだよな。


兎角最近はそう言う方向性というのが迷走気味だよ。おそらくインプットが足りてないんだろうなーと思う。もっといろんなジャンルのエンタメを見まくって、どういう方向性の作品であればウケるのかというのを勉強しないといけないと思う。


やっぱり読書だよねー。読書はいいよね。楽しみながら自分の内容を深めることができるし、その作者の深い考え方を知ることができることで自分との相対化ができる。深い生き方が全部素晴らしいとは思わんけど、ある程度考えることに囚われてる人は日常的に本を読むべきだろう。


なんじゃろ。結局まあ、創作やるにしても人生を生きるにしても、たくさん読んでたくさん書くことだよなーと思う。それが僕のライフワークになってるところはあるし、もっと読書を加速しよう。

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