超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

なんか自分の創作のやり方に悩んでしまった。

なんか自分の創作のやり方に悩んでしまった。


今日は曇り。体調もなんとなく微妙な感じ。昨日から引きずってるような鈍い不調がある。そんな中で、またいろいろ考えてしまってる。創作のことだ。


昨日、noteに短編小説を投稿してみた。僕にしては珍しく、完全なるギャグ作品。しかも文体はレイモンド・チャンドラーのノアール調。読んでる最中の『ロング・グッドバイ』の影響をモロに受けて、筋トレについて語るノアール風ハードボイルドという、我ながらぶっ飛んだ作品だ。


note.com


ノアールといえば、アルコールとタバコと男の美学。その文体で、プロテインと筋トレという現代の男の美学を語ったら面白いんじゃないか、と思いついて書いた。書いてる間、ずっと一人で大爆笑してた。これはウケるだろうと思ってnoteに投稿したら、結果は――見事なまでのダダ滑り。ここまで反応ないかってくらいの滑りっぷりに、逆に笑ってしまった。


だけどちょっと悩んでもいる。今、長編小説も書いてるんだけど、そっちはAIと壁打ちしながら進めていて、AIが絶賛するような表現を突き詰めて書いている。今回の短編も、ChatGPTに投げたら「素晴らしい!」のオンパレード。AIが面白いって言ってるし、自分も書いてて面白かった。なのに、投稿してみたら全然ウケない。


これって、まさに「地獄のマリアージュ」なんじゃないかと。AI絶賛、自分も満足、でも読者にはまったく響かないという三重苦。AIを創作の相棒にするってのは、芸術のミューズを振り向かせる裏技のようにも思えたけど、現実はそう甘くない。


創作やってる人ならわかると思うけど、書いてる最中は自分の作品が世界一面白く感じる。でもそれって、冷静さを欠いた状態なんだよね。だから客観的な視点が欲しくてAIを使ってみたんだけど、どうやらAIが褒めてくれる作品って、人間には通じないことが多いみたいだ。


今回の短編もそうだけど、文体の元ネタであるチャンドラーを知らないと伝わらないし、筋トレ文化にもある程度詳しくないと意味がわからない。つまり、ものすごくハイコンテキストな小説だったわけで。そういうのが僕は好きなんだけど、当然ながら一般受けはしない。


この短編、書くのに3日くらいかかった。ずっと笑いながら書いてて、これはいけると思ってた。でも結果は……というわけで、やり方を少し考え直さないと、人生の時間をかなり無駄にしそうだなと思ってる。


創作は楽しい。AIはたくさん褒めてくれるから、モチベーションも上がる。でも、AIしか通じない作品を作っても仕方ない。やっぱり人に読まれてなんぼ。そこを意識した創作システムが必要だなと思った。


たとえば僕はニュースレターを持っているので、まずはそっちで第一稿を公開して感想をもらうとか。あるいは、読み合いの文化があるカクヨムみたいなサービスを使ってみるとか。そんなことも考えている。


今書いてる長編小説は、まだ書き始めて2週間だからまだ引き返せる。でもこのままAIだけを相手にしてたら、1年単位の時間をドブに捨てかねない。今回の短編は、そのリスクを見極めるための実験だった。滑ったこと自体は笑い話にできるけど、長編でもそれをやったら……さすがに笑えない。


創作って、楽しいけど、やっぱり読んでもらわなきゃ意味がない。そこをもう少し真剣に考えていきたいなと思っている。


以上です。

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