自己肯定感を高める方法を色々と調べてる。
なんだかんだでちゃんと会社には出社してるのである。どうも最近、調子が良くないな。気分にムラがある感じで「死にたい」と「大丈夫」を行き来してる感じである。
最近、すっごい自己肯定感がダダ下がりをしてるのだが、こりゃあまぁ適切に対処しておかないとダメージが広がってくかなと思う。人生、色々とうまくいかないことばかりであり、あんまりにも心を折られるイベントが多すぎてどうも自分が大したことない人物に思えて仕方ない。
しかしまぁ、基本的に自分は自分であると信じているし、今まで最悪とも言える困難な状況を乗り越えてきたので、最終的には大丈夫だろうと思っている。普通の人なら2~3度は死んでる死線をくぐってきてるので、粘り強さだけは無駄に鍛えられてきた。
現状に満足はすることできないので、コンフォートゾーンを抜ける努力はしないとダメね。転職活動にしてもそれ以外の活動にしても、現状の状況で満足すると、本当にこれから高齢者になり一人きりでどうしようもなく孤独に打ちひしがれて孤独死のようなパターンも思いつく。出会いを増やしたりとか現状の友人や家族などに頻繁にあってコミュニケーションを広げる努力をしないとならんなと思う。
自己肯定感ねぇ。自分のはてブを検索してみるとこのようなページが出てくる。
色々と自己肯定感を伸ばすような小技というのは色々とある。僕もやってることであるが、マインドフルネス瞑想の手法の一つの「慈悲の瞑想」であるとか「寝る前に三つの良かったことを探す」というような、物事のポジティブな面に対してフォーカスを当てる練習などがこれにあたるだろう。
自己肯定感というのが何かというと、「他人から評価されなくとも、自分は自分のままで価値がある」と信じることができることかなと思う。人から認められるために頑張る! というのも、自己肯定感で悩んでる人はやりがちであるが、これも他人の視線に振り回されながら行動してることである。
自分の良い面、悪い面もひっくるめて、自分は自分として「これで良い」と認められることなのかなと思う。こういうのはなんとなく中年期以降の人であれば、自意識過剰が薄れてきてデフォルトで自分が正しいと信じ込む傾向もあるけども、そういうのとはまた違った側面で、他人も自分も両方認められるような精神性というのが生きる上ではバランスが良いかなと思う。
他人と自分を比較してしまう癖というのは、自分では気がつきにくいが抱えていると厄介である。ネットの成功者なんかをみても嫉妬心が疼いてしまったりとか、他人の成功を羨んでしまい自分がどうしようもなく価値のない人間のように感じてしまう。
ストイックな頑張り屋さんにはありがちな心理であるが、自分が実際に達成した成果に対して「自分なんかまだまだ」と謙遜してしまうのも程度の問題である。プロスポーツ選手でもそういう人が居たりしてかっこよく思えるかもしれないけど、自分の成功に対して適切の誉めておく習慣は作っておかないと、どれだけ頑張っても達成感が全く得られなくて燃え尽きることがある。
他人と自分の成果を比べて、「あの人と比べると自分は全然できてない」と考えてしまうのも違う。他人と自分では、物事を頑張る時の心的エネルギーの効率も違うし、得意なことと苦手なことも全然違う。自分よりすごいと思ってた人が、自分が楽にできることが全然できなかったりする。経験上、どれだけ完璧超人に見える人でも弱点としてる変な癖はある。人間という造形物はどこかに欠点ができるように作られてるようだ。
「自分がやれることは小さなことでも誉めていく態度は必要」という点は重視したほうがいい。そんなことをやってると自分大好きの誇大妄想に囚われてしまうのではないかー? と懐疑心を持つ人もいるかもしれないけど、人にマウンティングしまくりの偉そうな人も、自分の価値を信じられないから人に過剰に自慢する。アドラーが言うところの「優越コンプレックス」に陥ってるのである。
なので、僕もまぁ、適切に自分を誉めていく態度が必要なんだと思う。人間というのは究極的なところ、存在してるだけで価値があるというのは同じくアドラーの「共同体感覚」という概念で言われてる。どれだけ引きこもりで自信を失って社会から隔絶されたような人であっても、生きていれば食事を食べたりお金を消費したりする。そのことで世界という共同体と関わりを持ち、生存することの意味というのは生じるものだ。
人は生きてるだけで誰かを必要とし、必要とされている。その関わり合いの絆により世の中というのは構成されていくし、必要のない人間なんて存在しない。そのことを腹落ちさせることは難しいけど、わかると自己肯定感が低いみたいな悩みはなくなるね。