
体調は悪いがまぁまぁ役割をこなすことはやれている。
月曜日の朝。土日はじっくり休めて、体調は少しマシになった気がする。ただ、結局今日も外食で、体重は順調に増えていってる。この辺は正直、困ったもんだ。
生活習慣を何とかしなきゃとは思ってる。でも朝食の準備を一回失敗すると、その日全部が弁当か外食に流れていく生活をしてるもんで、こうなると歯止めが効かない。今日は仕事終わりに筋トレ行く予定だけど、外食ばっかりだと取り返しつかなくなりそうだなとも思う。
まぁ、しばらくは体調が完璧に回復するまではこの生活の調子は仕方ないかなという気もする。しかし、外食で生活をすることは、体重が増える上に金も使い、良いことが何もない。生活リズムを変える方法は考えないとならないであろう。
とはいえ、しばらくは仕方ない気もしてる。調子が悪いしね。自然とどうにかなる方法はあるだろうと思う。それがどんな方法かは分からんが、こういう時に強迫観念で焦るのが自分のいつもの失敗パターンだ。
今日からまた仕事。明日は病院受診で休みだけど、とりあえず今日はきちんと働く日だ。最近、仕事について色々考えることはあるけど、一時期の「転職だなんだ」の大騒ぎは落ち着いた。
仕事が楽しいかと言われると、別にそうでもない。ただ、前より揉め事は減ったし、この状態なら過剰に文句を言うほどでもないかなと思ってる。
生きる理由って何だろうと考えることがある。その答えは昔からあまり変わらなくて、「誰かのお役に立てればよし」という考え方だ。
ブログを書くことも、小説を書くことも、仕事をすることも、全部そこにつながってる。自分がやっていることで、それが多少なりとも誰かの助けになることができたのなら、僕はそれでいいと考えている。
僕の仕事は障害者雇用でのサポート寄りのプログラミングで、派手でもないし、かっこよくもない。それでも、やるべきことをやって、それなりに成果は出している。
そこでまぁまぁ、「生きているな」という実感自体はあるのである。昇進も昇給もないけど、誰かの役に立っているという一点だけで、自分はとりあえず社会の中に存在できている気がする。
大層な生きる理由なんて、別に要らない。働いて、金を稼いで、その金で生活している。それだけでも十分だ。最低限の生活かもしれないけど、確かに生きてはいる。
昔、病気のせいで社会からほぼ断絶されたような時期があった。それと比べると、今は間違いなく前に進んでいる。ちゃんと社会とつながって、時間が流れている。
まだ、これで十分とは思ってない。でも今の基盤を活かしながら、できることを一つずつやっていく。それが今の自分には一番合っている生き方なんだと思う。
永遠にそのまま成長し続けることなどというのは、若い頃には想像するのかもしれないけど、現実と折り合いをつけて生きる時にはこういう考え方になる。歳を取っても夢見がちという生き方は、「随分と苦しいんでないか」と僕は思うね。
これが惰性なのか、それとも成熟なのかは僕は分からん。だけど、昔と比べると今の方が楽な生き方であるなと、そうは思うのである。