年末に嫌な感じで世の中を観測してる。
昨日から引き続きうつ状態である。死んだ目でダラダラと仕事をして、周りで誰かが騒いでると嫌な気分になるような病んだ気分である。
まぁ、しかし、これの原因は身体の方の病気であると分かってるから気は楽だ。実のところ、首の粉瘤を診てもらったところ、他にもしこりが見つかってしまい、こちらの方は来週の月曜日に総合病院で精密検査。これがもし、悪性腫瘍で手術が必要だとすると年末年始がとんでもないことになる。
んー、色々と嫌な世の中よね。僕はメンヘラゆえに生への執着というのは少ない方であるが、最近はそこそこいい感じで生活リズムが回ってたので、世の中は本当に好事魔多しというやつだ。
痛いのは嫌であるが、もしガンとかであれば放置をするともっと酷いことになってくる。僕はがん保険も入ってるし、さっさと悪性腫瘍とかだと削除してしまった方がいい。もし、そうなった場合はブログをどうしようかなどと考えてしまうが、早いところブログストックをたくさん作ろうキャンペーンは手がけておいた方が良さそうだな。
しかしま、年末年始である。本当にあと2週間もせずに2025年がやってくる。おっさんくさい発言であるが、ほんとこの「2025」というのが子供の頃にはすごく近未来のイメージだったのである。
北斗の拳の世紀末と言われる年代が199x年である。そこから2000年代以降というのはすごい未来であるとフィクションでは語られていた印象がある。車が空を飛んだりとかチューブの中を渡りながらビルの間をコンベア通路があったりみたいな描写である。
しかし、実際の2020年代というのは、世界各国で戦争が起こるわ、変な政治家が暴動を煽ったりするわ、世界中に未知の病原菌が蔓延して社会全体がロックアウトされたりするなどの散々な時代である。
僕も就職氷河期世代でそこそこ暗い世相には慣れてるつもりであったが、ここ最近数年の将来への不安感というのはただごとじゃないものがある。特に来年以降はトランプが下手なことをやらかしたりすると第三次世界大戦とか大恐慌というリスクもかなり高くなっており、沖縄の方も台湾有事が現実に起こりかねないというシャレにならない状況になってきてる。
そんな世間の様子を眺めてると、僕はただため息しか出ないのである。確かにまぁ生成AIのブームなど、想像もしなかったテクノロジーというのは生まれており、それは将来の楽しみではある。だが、民間の宇宙旅行を実現できそうな企業のCEOがあんなヤツであるなど、色々と世の中には嫌気をさすことには事欠かない。
僕は根本的なところでネガティブ気質ではあるが、それは頑張って意識的に修正してるところがある。このブログでもネガティブな書き出しで始まったエントリーでも、ポジティブな結論に結びつけて終わらせるなど、意識して性格修正しようとしてる。
その理由を単純に述べるなら、その方が生きやすいからである。僕は元々の性格がかなり陰険で拗らせたオタクなもんで、色々と世の中を斜に構えて批判しつつ自分にも絶望してるというタイプであった。
そういう拗らせた性格のままで生きていこうとしたら、文字通り死にかけた。世の中を悲観して批判的に生きるということは、他人も自分自身も全く信用せずにネガティブな感情を溜め込むということである。そんな性格で社会をサバイバルしようとしても、世の中と自意識の軋轢でフツーにぺちゃんこにされるのである。
若い頃は、何か自分はすごい大人物にでも成れるつもりで自意識を拗らせていたが、実際のところ自分にはそこまで大した才能は無いようであり、こんな風に仕事のストレスに押しつぶされそうになりながらネットの場末で雑文を書くことぐらいしかしてない。それでもまあ、自分の書いた文章というのは一定の人たちにはそれなりに響くようなので、頑張って書いてこうということでブログは続いている。
こんな僕でもそれなりに社会適応しようと思うのなら、色々と工夫をせんとならんなと考えを巡らしたりするのである。ストレスをなんとかするために生活習慣に気を配ったり、マインドフルネス瞑想をしたり、筋トレをやったりするが、やっぱりストレスを溜めがちな性格をなんとかするには性格改善を頑張った方がいい。
性格改善の方法については色々と調べており、「スキーマー療法」であるとか「仏教」を利用してなんとかしようと工夫をしたりしてる。根本的なところを言うと、自分の内面で使ってる言葉を綺麗な言葉に置き換えることで、自分の思考の刺々しさと言うのもマイルドになり、かなり生きやすくなるのである。
本筋じゃ無いので理屈的なものはそれぞれのキーワードを調べて貰えばいいかと思うが、ちゃんと世の中で自分の関わってくれてる人に感謝をしたりとか、生活の中の小さな出来事をちゃんと喜ぶとか、そう言う考え方は非常に重要であると言うことだ。テイカーのように世の中の人たちは全部自分のことを利用したり奪ったりしにくると考えてしまうと、自家中毒で自分の方が苦しくなる。
全く逆説的なのであるが、自分の人生を幸せにしたいと思うのであれば、尽くすことができる相手を探すのが一番いいのである。そう言う相手がいないのなら、熱中できる趣味を探すのがいい。「人は島嶼にあらず」と言う言葉があるが、どんな形でも社会につながる方法を探すのが結局、一番いいのである。