
マジで世の中が嫌になってきた……。
今日はカウンセリングに行ってきて、それから家に帰ってきてニュースレターを書いた。
ま、色々と考えるところがあるよな。ニュースレターはかなりプライベートな込み入ったことも書いてるが、これもどこまで書いていいものか悩むものである。
どうも僕は20年来ぐらいのネットユーザなもので、いまいち情報発信する内容が毒々しい。もともと2chからネットを始めたもので、匿名文化圏の皮肉の効かせ方と言うのがいまだに残ってる。
まぁ、時には皮肉を効かせないといけない時もあるが、それで自分が賢いと勘違いして冷笑的になるのは避けたい。自分が賢い「つもり」の人は足元がお留守になる。他人に反感を持たれると密かにそう言う人は馬鹿にされるようになるけど、気が付いてないのは本人だけとなる。
僕も遠からずそう言う傾向があるから気をつけなければと思う。だから最近は攻撃的な内容は書くのは避けるようにしてるのだけど、どうにも最近は世間の様子がちょっとおかしい。この状況を看過してると自分の生息圏にも危険が及びそうな恐れがある。
せめて冷笑的になるのは避けるべきか。あれは議論にせよ相手に対するリスペクトがない時に発生する性格だ。批判的思考というのは相手を論破するために粗探しをすることではない。自分の思考についても批判的に見るようにして、対話の中でさらなる高みに視座を高めるために行う思考法だ。
クリティカルシンキングとかもっと勉強するべきだよな。最近はカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』が面白そうと思ったが、ああいう難解な哲学書は手に余る。新書あたりでポパーの入門書を探すべきかな。
如何にもこうにも。世の中のニュースを定点観測してるとうんざりする話ばかりだ。ネットを見てると拗らせてる人ばかりが目について、僕も毒されて、いかにも拗らせた論理展開をしてしまう。こういう時はドゥームスクローリングをしてしまいがちなので、ネットから距離を取るべきなのだろう。
こういうことばかり考えてるから、老荘思想だとかエピクロスの「隠れて生きよ」みたいな浮世離れした思想に惹かれる。どうにも最近はマジでアナキズムにも惹かれているし、この調子で世間に失望ばかりしていると本当に出家して寺に篭りかねない。
小難しいことばかりを書いてるが、一言でまとめると「世間が嫌になった」である。ほんとなんなんだ最近の世間の様子は。なんかマジで革命前夜とか夜警国家みたいなノリのニュースがNHKからも流れてきており、世界中のどこにも逃げ場がないという感じ。かといって今これらのニュースを放置してると後々基本的人権まで奪われそうな事態になってきており、回避不能の二択を押し付けられてる感じ。
んー、多分、こういう時期だから図書館とか創作に篭った方がいいのかなと思う。ネットで流れてくる情報はAIも含めてこれから色々と特定のイデオロギーに偏った狂いが生じてくるんじゃないかと思う。ポパーに興味を持ったのもそれだけど、世界に全体主義が広がりそうな嫌な気配を感じてる。
何かしらの理想を上から押し付ける理想主義を信用するなとポパーは言うけど、同意である。僕自身の生き方でもそうであるけど、何かしらの楽な思想に惰性で乗っかって、それで何もかもの問題に当てはめようとするのは知的怠惰だ。
考えるのをやめるな、と思う。他人のものでも自分のものでも既成概念を常に疑い続けるのは必要だ。簡単な結論にすぐに飛びつこうとしてないか? 批判的思考というのは、考え抜かれで導き出した結論に対しても疑いを持って、常にアップデートを繰り返す考え方だ。
ほんとさ、世間を見てると難しいことを考えるのが嫌になった人たちが、簡単に世の中を敵と味方に二分して、そして敵をやっつければ世の中の問題は全て簡単に解決すると喧伝してる。それをプロパガンダとして政治家が利用して、それでほんとに世の中がひっくり返りそうになってるんだから世話はない。
自分の嫌なところを見たくないから外に敵を作る。自分が頑張って自分の問題を解決するよりは敵を憎んで、敵に全責任を押し付ける方が楽だからだ。自分がうまくいかないのも敵のせい、環境のせい。
それで実際に敵をやっつけて何かが変わるわけではない。何も変わらない現実の日常が続いていくだけだ。現実は物語とは違う。世界を支配する魔王をやっつけてハッピーエンドではなく、アンチクライマックスで、何も持ってない弱い自分の物語が死ぬまで続くのである。
みんな、現実を直視するのが嫌なんだろうな。何かしらの奇跡が起こって冴えない日常が大逆転という物語を、上から下まで全ての人たちが夢見てるんだと思う。そういう夢物語を信じないと人生が無為すぎて生きられないところまで世の中の環境が厳しいのだろう。だから世の中で悪い物語が広がっていく。そこのところで建設的で前向きな物語を広げられる方法はないかと思う。
僕はこういう思考を一つのイデオロギーに対して言ってるのではない。権力だろうが反権力だろうが反反権力だろうが全部一緒だと言ってるのである。考えることをやめた時に人は老いるのだ。