
小説執筆の習慣を再開している。
最近のブログ執筆のキャンペーンとしては、「冒頭で体調について書かない」である。もっと推し進めて「ブログで愚痴を書かない」にしてやりたいところであるが、それだと精魂尽き果てる可能性がある。
最近はまぁ、趣味のタスクでは「ナナシノユウレイ」のリライトを始めたよね。ひとまず章立てを整理して、そこで小説を書き直す作業をする予定である。
こちらはどうしようかなーと悩むこともあり、最初「イヌガミギフテッド」のkindle出版を先にしようかと思った。しかし、最近、趣味でやってることが停滞状態なので、ちょっと勢いをつけるために小説のリライトをやってみることにした。
小説を書くことはミシンの弾み車を回すのに似ている。最初の段階では物語が動き出すまでにはじっくりと力を加えないとならない。しかし執筆プロセスが動き始めると、あとはちょっと力を加えるだけでどんどん物語が転がり始める。
ちょっと、玲と真輝の小説の第四作の「クダンインターセクション」もプロットを色々と考えてるところなんだよね。「ナナシノユウレイ」のリライトで執筆習慣を回復させておけば、次の作品の執筆も楽になるかなと思うんである。以前の「オンミョウデザイア」でも書くのに一年近くかけたけど、ちょっとは執筆速度に加速をつけたいのだ。
自分の小説執筆の問題点としては、とにかく一つの物語を仕上げるまでに時間がかかりすぎだと思うのだ。5万字程度であれば中編であるが、それに一年をかけるのは執筆ペースとしては遅い。公募で求められる小説などの場合は10万字以上の長編がほとんどであるし、そういう作品に向けて執筆をするにしてもこのペースだと数が打てない。
この辺りどうだろうね? という感じ。今の仕事に希望が持てない感じでな。趣味の活動を頑張ろうと思ってるのである。小説執筆で公募とか出してプロレビューとかできたら渡りに船である。まー、そういう宝くじに当たるようなラッキーがある人生ではないということは知っているが、ぐちぐちとブログで会社の悪口を書いてるだけよりはマシである。
実際まー、どーなんだろうね? 親の欲目かもしれないけど、自分の書いてる小説ってそれなりに面白いよなと思うんである。他の人の作品も色々と読んでみようと思って、プロアマ問わずラノベを色々と読み漁ってるけど、僕の執筆してる小説のランクとしては中の中ぐらいのクオリティは出せてるのではないかと思うんである。
無論、こういうのは読んだ人が判断することである。作者本人が自分が書いた作品が面白いと思うのは当然だ。自分の脳内で生み出されたイメージを作品として抽出するのだけど、それを他人が読んで伝わるイメージには多少の劣化が生じる。本人が書いた作品は作者本人が読めば、世界で一番面白い。
僕が小説を書いてる時はキャラクターたちが舞台で動き回ってるところがアニメのように見える。わりかし映像主体の妄想をしてるところがあり、小説を書く前にキャラデザのイラストを描くぐらいである。キャラクターのビジュアルというのは執筆の強い要素なので、執筆をする前のプロットの段階でキャラデザは出来上がっている。
できれば、小説を書く前に自分の手で登場人物たちのイラストを描いてやりたいぐらいなのだが、そういうことをやってると僕の遅筆ではどんどんと執筆時間が伸びていく。しかしまぁ、小説もイラストも自分で描けるというところは、創作者としての自分の強みであろう。
そういう自分の人生を豊かにする趣味としてはイラストや小説執筆は役立ってる。まぁ、僕自身の大いなる問題点の一つなのだが、そうやって完成した作品については自己消費でご満悦であり、それを他人に読んでもらい評価してもらおうという気持ちが薄い。
少し、いろんな人に読んでもらって客観的な評価をもらうために頑張る必要があるんだろうなと思う。どうも、そこんところ僕は苦手であり、解釈違いで低評価をもらったりしたらあっという間にやる気をなくす。如何にもこうにも山月記の李徴のような「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に満ち満ちた性格なのである。
しかし、ま、この辺りは「変身」のカフカも似たようなことを言ってるが、「才能を信じて磨かないこと」がもっとも作家が安心するための方法であると言っている。彼の日記などをまとめたエッセイ集を読んだことがあるが、彼は人生に絶望して死後には自分の書いた作品は全部焼き捨てるように親友に依頼した。しかし、親友が裏切って彼の作品を出版したので、カフカは世界文学でもトップクラスの名声を得られたのである。
特にネットが発達した現代においては、同人活動というのは作品を作るのと読者に届けるのがセットである。漫然とネットに公開してるだけで他人に評価してもらおうというのは甘いだろう。自分なりに宣伝の手法を探して、自分の作品を求めてる読者に届けるような仕組みも考えねばならないな。