超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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死に向き合って後悔しないためには、ちゃんと経験を積んでおくこと。

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死に向き合って後悔しないためには、ちゃんと経験を積んでおくこと。

人生にとっての目的とは何か?


最近、考えることは「人生にとって目的は何か?」的なテーマである。細かなタスク管理の方法などを極めて行った所で、人生の究極的な目的を見失っていては全く何の意味もない。自分は行き着く先ではどうなりたいのか。その目的がさっぱりと分からない。こんな人間が成功哲学とか集めた所で何者にもなれはしないよねーと思うんである。


そもそもそういう事が合理的な行動だけで導き出せるのか?とも思うのだけど、何も考えずに人生に良さげな事ばかりを集めていった所で、自分がどうなりたいのかビジョンが分かってないと何も意味がなかったりするしね。


人生の目的は何か?と考えることは、自分にとっての大きな関心ごとの一つで、これを言語化できる書籍とかwebサイトを探していたりもする。これは僕だけではなく、太古の昔から人間は同じ様な事を考えていて、哲学や宗教を作ってきたのであろう。こんな事を書いたこともある。


www.ituki-yu2.net

しかしながら、大きな方向性を持たずに日々に埋没して酔生夢死に生きる夢や目標のない生き方が正しいのかー?と問われるとそれは違うと思うんだけどね。目先の欲望に囚われて毎日、ギャンブルやらアルコールやら快楽を与える行動に逃げて、生きる苦しみから逃げてしまうのが賢いのか?と問われると、そういう生き方は自分に向きあわずに行動に逃げているだけであろう。快楽を追及する事だけが正しいみたいな考えに至ると、人生に意味なんてないみたいなニヒリズムに陥って生きるのが苦しくなってしまうのですよ。夢や目標を持つ効果というのは、自分の人生を生きやすくする方法だったりする。


この記事を書いた時に結論づけたのは実存主義的な考え方で、一度でも生きようと必死になれば人生の意味はひっくり返るという風なことであったな。人生の方向性みたいなものは決めておいたほうがよいと考える。今日はその辺りを考えていこう。

老年期に至って、ちゃんと経験を積んでいると幸せらしい。


結局の所、色んな人の話を聞いていると、幸せになるためには老後に対して備えておいた方が良いらしい。


social-design-net.com

素晴らしい人生とは何か。ハーバード大学が75年間に及ぶ調査の中で、非常に興味深い研究結果が出たということが紹介されています。

A 75-Year Harvard Study Finds What It Takes To Live A Happy Life

心身ともに健康な237人のハーバード大学卒業生と、恵まれない環境で育った332人の若者を、毎年あらゆる側面から調査し続けた「Grant Study」。

この研究を30年以上指揮しているGeorge Vaillant氏が主張する、最も相関関係が強かったものは、次のことのです。

But the factor Vaillant returns to most insistently is the powerful correlation between the warmth of your relationships and your health and happiness in old age.

(最も強く関係する要因は、老年における健康と幸福、温かな人間関係の3つだ。)


これがどういう理屈なのか分からなかった。なぜ、老年期に満たされていると人生に対して幸せを感じるのか?という事なんだけど、答えらしきQuoraの回答を見つけたのだね。


jp.quora.com

智慧を得たとも言いますが、波乱万丈の人生経験を持ちそれを通して自分の心を良い方向に育てることができた人は最高の幸福を得ることができます。

私の周囲の同年代の人を見れば、暇と孤独を恐れ、若返ろう、人と群れようと必死ですが、それだけ現役時代の人生経験になんら納得感がなかったということを証明しているようなものです。

彼らは自分の現役時代の人生経験が空っぽに感じているのですね。だから死が迫ってきて人生の残り時間が無くなってきているので大慌てになっているんです。

必死で何か充実させられる経験をもっとしなければ、このまま老いて死ぬなんて恐怖だ!と感じているんです。

若い頃の苦労は買ってでもしろ。と言いますよね?あれ事実ですよ。

そういうことを嫌がって避けてばっかりで何ら納得感のある人生経験を積まねば、歳を取って死を意識し始めた時に、自分の人生経験の空虚さに驚き不幸のドン底に落ちてしまいます。

そう言う人に残されているのは、酒、たばこ、女、博打等のあらゆる快楽に溺れて「空虚さ」をごまかすことしか他に方法がなくなるんですね。


人生の終わりに至って、自分の死を想定し始める段階で、自分を納得させるような経験がなければ後悔のままに人生を終えていくようなのである。これも僕の哲学なのであるが「若い頃の苦労は買ってでもしろ、歳をとっての苦労は金で片付けろ」みたいな理屈ってこういう所にあるんだろうなーって考えました。

まとめ


ちゃんと人生や生活の中で、努力をしたりする意味というのは、様々な経験をして人間として成熟をしていくためだと思うのですね。何か刹那的な快楽の中に埋もれて、死と対峙する段階に至ると後悔しか生まれてこない。まぁ、金が無いと幸せではないとか、なにか物質的なものがないと幸せな人生でないとかそういう事はないので安心していい。しかし、若い頃はさまざまな挑戦をしていく事は必要なのであるなと思う。自分はタイプとしては保守的であるので、様々な経験が出来るように色々とチャレンジして行かなければ。今できることをちゃんと出来ないと、自分が死ぬ段階に至って「自分は何もなかった」と後悔するのであろうな。自分はもうちょっとチャレンジしても良い。

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