超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ネットで喧嘩して消耗するのはしょうもない。

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ネットで喧嘩して消耗するのはしょうもない。

最近のネットに流行るもの。。


兎に角、ネットで無駄な情報を読み込んで時間を無駄にしている事が多いですね。延々と数時間に渡ってネットを巡回し続けている事がたまにあるんですよ。twitterなんてまさしくこの時間食いの魔物みたいなものだったんで、さっさと断捨離してしまった


twitterを断捨離したのは正解だったと思う。やっぱり、ネット上から不愉快な情報を摂取して思考リソースを無駄遣いしている事って多かったらしくて、直接は関係ない情報をフラフラとブラウジングできるtwitterメンタルヘルスの具合にも良くなかったみたい。わりかし、twitterを辞める前と今を比べると、今のほうが調子がいい。


なんか、年を経るに従ってネットに対する姿勢も変えないといけないなと、ここ最近を振り返りをやってみて強く思う。コロナ禍のtwitterなんてものは、誰かの失敗を餌にみんなで大喜利しているようなSNSだったので、駐留しても不愉快で不愉快で仕方なかった。別に僕は本来2ch出身だったりとかでこういうゲスい文化への耐性はあったんじゃないかと思うが、ブログを長年やってみて、何の背負うものも責任を負う気もない人たちから無責任な言葉を投げつけられるのは心底苛立つのだなと分かってしまった。


はてなブックマークもこういう口だけ番長が集まるSNSだったので、こちらも自分用のコメントを残す以外はブクマコメントなどは見ないようにしている。はてブ自体はEvernoteにデータを受け渡すハブとして利用しているし、自分がなにかを調べるときはまず有用な情報をブックマークしてないか個人用データベースとして全文検索するのではてブ自体は使い続けるだろう。

ネットで情報発信する上で重要なことわざ


自分の自己顕示欲を満たすための情報発信に関してはこのブログをメインに使って、twitterは拡散用に過去ログを流すのに使ってる。人には誰しも自己顕示欲というのがあり、どうでもいい自分の妄言を他人に理解してもらいたい欲求みたいなもんがある。twitterなんぞはそういう自己顕示欲をお手軽に満たすのに優れたシステムだったんだけど、今はあそこは目立つと周りから石をぶつけられる修羅の国みたいなもんだし、別に僕はいちいちダイレクトにレスを返してもらわなくても、毎日読んでくれる読者諸氏のスターとかそういうレスポンスで十分だったりする。


それに、今の僕のネットでの興味というのは、定点観測でネットの状況を長年観測し続けて、その中から有益な情報を抽出する。そして得られた情報を淡々と自分のために記録を積み上げるという風な事だったりして、別にそれは自分のためだけの実用的なツールだしそれほど他人に評価される必要も感じてない。ネットの情報収集・管理・情報発信のシステムをうまい具合に組み合わせて、そういう知的生産のシステムを作るのは昔っから取り組み続けていることだったんだよね。


ネットというのは情報を調べるだけでなく、誰かと情報をやりとりして交流することもできるんだけど、そこで仲良くするならいいんだけど、誰かを議論で言い負かして自尊心を満たしたいみたいな欲求も人間にはある。ネット弁士とかその部類の人達というのはそういう喝采願望に囚われてる人たちだし、ネット弁士だけではなく最近は一般人もワイドショーを見て芸能人の不倫に投げつけている愚痴みたいなもんに他人の評価を欲している。ググって五分で見つけたこの情報で嫌いなアイツを論破したいみたいな欲求をみんな持ってる。


とりあえず、ここ最近のコロナ禍の状況下でネットの潮流を観測して感じたことは、これからの情報社会を生きる上では、そんな誰かを言い負かしたいみたいな欲求はさっさと手放して他の興味を見つけた方が楽に生きられる。「金持ち喧嘩せず」とかそういう言葉で表現されるやつである。今のSNSは、誰しも自分とは反対意見を持つ誰かを気持ちよく論破したいみたいな欲求に囚われた等活地獄みたいなもんだし、そんなもんはさっさと逃げ出して自分の好きな趣味やってたほうが有意義な時間の使い方である。

真実を追求するための議論は無駄か?


じゃー、アカデミズムで今まで真実を追求するために議論とかやってたのは無駄か?と言われるかもしれないけど、議論するにしてもみのりのある議論ができるかは最初に問題解決すべき議題を設定してたり、論点のスキームをちゃんと決めてたりとか準備をしてやらないと無駄だし、相手の揚げ足を取る難癖のつけあいは議論ですらない。


議論をするにしても相手を選ばないとちゃんと議論にならないということでしょ。自分とは反対意見を持っていても、ちゃんとこちらの言うことに耳を傾けて考えるつもりの人が居てはじめて議論というのは成り立つのであり、ネットの匿名同士の議論であってもその点は変わらない。最近のSNSでの議論というのは、そこらのネットをググったりだとかでちょっと知識のあるつもりの素人が強い言葉でいっちょ噛みするのが議論と思ってるだけなので付き合うだけ無駄ですね。


こういう自分の認識をアップデートするための議論をやりたいと思うなら、ちゃんと相手の素性が分かってる人と静かな場所で話し合ったほうが良いでしょう。最近のネットは騒がしすぎて、そういう場所があるか分からんけど。

まとめ


今のネットは騒がしすぎですねー。村上春樹ねじまき鳥クロニクルでこの様なセリフがあった。

「ここは血なまぐさく暴力的な世界です。強くならなくては生き残ってはいけません。でもそれと同時に、どんな小さな音をも聞き逃さないように静かに耳を澄ませていることもとても大事なのです。おわかりになりますか?良いニュースというのは、多くの場合小さな声で語られるのです。どうかそのことを覚えていてください」


ノイジーで騒がしい領域は活気があるけど、そこは自分のための場所ではない。じっと場を観察して自分の居心地の良い場所を探すというのが、物事をうまくいかせる最初の条件だと思います。真実は小さな声で語られる。

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