
悩みは走りながら考えるぐらいでちょうどいい。
今日は母親の健康診断の付き添いをするために会社は平日休み。午前中の朝イチで健康診断をしてきたのちに、母親と一緒にタリーズなんかに行きその後、飯なんぞを食い、午後は最近遠近両用メガネの度が合わずに夕方に目が疲れてることがあるので、眼鏡屋に行き中近両用のメガネを作ってきた。
母親の健康診断は色々と考えることがある。この人は糖尿&高血圧&脳出血で半身麻痺なのに生活習慣を改めるつもりが全くなく、好きな時間に好きなものを食べて、一日中テレビの前でうたた寝をして好きな時間で寝るような生活をしてるので、そりゃー健康状態なんてものは碌でもないだろう。
しかしまー、軽い認知も入ってる上に性格的に何を言ってもいうことを聞く人ではないので、こちらの対応としては色々と環境の方にアプローチして生活習慣を変えるぐらいの方法しかない。普段から一緒に生活していてもムカついて仕方ないのだが、とりあえずまぁ一緒に暮らしてるのである。
やめやめ、冒頭から暗い話をした。どうもな、介護というのはこの辺りが嫌だよな。僕にできることとしては福祉サービスをフルに使い、ヘルパーやらデイケアを活用して、自分一人で抱え込まないような仕組み作りが肝心だ。
現実を見ると暗い気分になるばかりだ。かといって、外の社会の方を見ると、暴君が暴れて戦争を起こし、そして日本は未曾有の大インフレ。ニュースを見ると毎日、国家運営ストラテジーゲーで逆張りをしてるかのような阿呆な行動ばかりをしてる大統領がトップニュースであり、しかも止められそうな人は誰もおらん。
なんかなー、現実を見てるとため息しか出んのよ。ほんとまー世の中の人たちも現実を直視したくなくてナラティブに逃げるんだろうが、それで現実を歪めてみるとさらに後から借金でとてつもないリスクを負わされるだけである。
せっかくの平日休みに鬱々としてばかりだ。このブログを書いたのちはジムに行ってきて胸トレーニングをする予定である。自分が努力しても影響を及ぼすことができないことに悩むのは無駄である。その点、筋肉は裏切らない。
こういうことで思い出すのがストア哲学者のエピクテトスだ。エピクテトスは「圏内と圏外を分ける」なんて考え方をするけど、自分の行動や思考で変えられないものをどれだけ悩んでも無駄である。
僕の場合だと、母親の考え方だとか世界情勢なんてものは圏外である。どれだけ悩んでも変えようがなく、自分のストレスばっかり溜まるだけだ。
一方、自分の感じ方とか自分自身がどのような行動をするかは、自分の意思で変えることができる。ストレスが溜まってるからと一人で鬱々と部屋に閉じこもっていると、思考はさらに歪み、行動をするのが億劫になり新たな問題を引き起こすだけである。「これは考えても仕方ないことだ」と切り替えてさっさと他の可能性なりを選択して行動を起こせば、視野が広がり他の解決法も見つかるかもしれない。
僕の問題点はこれが非常に大きいのだが、言語化が得意なので頭だけで延々と考えて考えるばかりで行動を起こさないケースが多すぎである。どうでもいい問題に何千字と分析レポートを書いた挙句、それで書き出した行動プランについては1mmも手を出さないというのをやりがちだ。
問題解決のための思考というのは、走りながら考えるぐらいでちょうどいいのである。多くの人がやりがちな問題としては、完璧な解決法が思いつかないと行動してはいけないなどと制約を加えたりするけど、実際のところテキトーな行動でも動き出せばなんとかなる方が多い。
色々とモヤモヤと嫌な現実を考えるよりは、1レップでもバーベルを挙げた方がまだ現実に影響を及ぼすだろう。「下手な考え休むに似たり」という言葉もある。ある程度考えたら、手なりでも適当に行動を起こす。これは自戒として記しておきたい。