超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

いい加減でも自分を認めることは重要だな。

いい加減でも自分を認めることは重要だな。


はい、おはようございます。今日もブログ書いていく。


なんだかもう気分は金曜日で、カレンダーとのズレにちょっと笑ってしまう。こういう感覚のズレって、疲れてるのか、逆に調子がいいのか、いまいち判別がつかないけど、とりあえず前に進んでる感じだけはある。


昨日は筋トレに行って、胸トレでダンベルを上げて、ラットプルダウンで背中もやってきた。別にマッチョを目指してるわけじゃないけど、鏡を見ると「あれ、ちょっと出てきたかもな」と思えるくらいには変化がある。この「ちょっと」は案外バカにできなくて、継続の燃料としては十分すぎるくらいの熱量を持ってる。


ダイエットも同じで、全体としては順調。ただ、ここ最近は少し足踏みしてる感覚がある。それでも、このまま続けていけば目標体重には届くだろうな、という見通しは立ってる。この「届きそう」という予感もまた、地味だけど効く。


で、今日の本題なんだけど、この手の小さな達成感をちゃんと自分で拾って、自分で褒めるっていうのをやらないといけないなと思ってる。


というのも、僕はどうにも完璧主義で、行動は好き勝手やるくせに、その評価は他人に委ねがちなんだよね。自分で選んで、自分でやってるはずなのに、「それが良かったかどうか」は外に置いてしまう。だから満足感が薄い。これは構造的に損してるなと思う。


要するに、自分の価値基準を内在化できてない。これをやったから満足、というラインを自分の中に引けてない。他人がどう言うかに関係なく、「自分はこれでいい」と言える力が弱い。意外と、こういうところで他人の目を気にしてる。


ブログもそうで、好き勝手書いてるようでいて、PVとかいいねの数を見て一喜一憂してる。数字は自分ではコントロールできない。そこに依存すると続けるのがどんどん難しくなる。


だからこそ、自分で自分を認める必要がある。「今日も書いた、偉い」でいいし、「ちゃんと筋トレ行った、偉い」でいい。この雑な自己承認が、実は一番持続性がある。


ただし、ここで一つ厄介なのは、完全に自分本位に振り切ると、それはそれで質が落ちるということだ。特に創作は顕著で、独りよがりになると、途端に誰にも届かないものになる。


だからバランスが必要になる。他人の価値基準もちゃんと参照する。世の中で何が受けているのか、どういう表現が届くのか、そのあたりは冷静に観察する。ただ、それと同時に、自分の作品は無条件で褒める。この二重構造を持っておく。


僕の中ではよく「7対3」っていう比率で考えていて、エゴが7、他者への配慮が3くらい。このくらいがちょうどいい。自分がやりたいからやる、をベースにしつつ、少しだけ外の視点を混ぜる。


この比率が逆転すると、途端に苦しくなる。他人の評価が7になった瞬間、継続はほぼ不可能になる。逆にエゴが10になると、それはそれで孤立していく。だからこの微妙な配分を、自分なりに持っておくのが大事なんだと思う。


ブログみたいな個人的な表現は、極端な話、完全に自分のためだけでも成立する。でも、小説みたいに外に届ける前提のものは、やっぱり他人の目を無視できない。その違いをちゃんと理解した上で、どこにどれだけ重みを置くかを決める必要がある。


結局のところ、長く続けるためには、自分で自分を認めるしかない。他人の評価だけで走り続けるのは無理があるし、どこかで折れる。


だから今日も、自分がやったことを自分で拾って、自分でちゃんと評価する。それを淡々と積み重ねていくしかないんだと思う。


この先PVがどうなろうが、とりあえず今日も書いた。それで十分だし、少なくとも僕にとっては、それが続ける理由になる。