
日々の生活の中にちょっと変化をつけるのは重要だよな。
昨晩は10月の中秋の名月っていうことでさ、ちょっと外に出て月を見てみたんだよね。そしたら思ったよりも綺麗でさ。ああ、こういうときってやっぱり月を眺めるのも悪くないなって感じだった。内地の方だと月見団子とかそういうの食べるのかもしんないけど、沖縄にはそういう習慣は別にないんだよ。でも、だからといって団子を食べちゃいけない理由はないし、むしろ食べてもよかったなーって思った。そういう「季節を楽しむ」っていうのは、やっぱりちょっとした贅沢というか、心の余裕なんじゃないかなって思ったりもする。
季節を表す言葉でさ、「二十四節気」とかあるでしょ。大きく春夏秋冬を分けて、その中でもさらに分けるやつ。あと「七十二候」とか、虫が動き出すとか草木が芽吹くとか、そういう細かい名前まであって。ああいうのも、日本人が季節の変化を楽しむための工夫なんだろうなって思うんだよね。沖縄にいるとさ、季節っていうのがどうにも大雑把で、夏と冬しかないような気分になるんだよ。春や秋みたいな中間の曖昧な季節が短くて、気がついたら急に暑くなってたり寒くなってたりする。だから、暦の言葉を借りてでも「季節を感じる」っていうのは、もしかすると必要なことなのかもしれないなと思ったりする。
まあ、これから地球温暖化で日本全体が春や秋を失うかもしれないけどね。そうなったらそれはとんでもないことだなって思う。だけど、そういう変化の中でも「どうやって自分の生活を楽しむか」っていうのは、やっぱり観察して工夫するしかないんだよな。
僕の場合、最近は母親の入院どうするかっていうのが一番の関心事だったんだけど、ここにきてちょっと落ち着いたかなって感じがある。そのうち母親は家に帰ってくるんだろうけど、それに向けて面倒をみたり、一緒に暮らすってことになるのかなと思う。正直言えば、一人暮らしのほうが気楽だし楽なんだよ。でも、そうも言ってられないからね。やるしかないわけでさ。
そうやって目先のことに振り回されながらも、仕事をしたり小説を書いたりブログを書いたりしてる。そういうのを続けていると「ちょっとでも一歩前に進んでるかな」っていう感覚がある。これは趣味の役割なんだろうなと思う。もしそれがなかったら、仕事に行って帰ってきて寝るだけの生活を繰り返して、いつの間にか自分が生きてるのか死んでるのか分からんような状態になってたかもしれない。
だからやっぱり「趣味」って大事だと思うんだよね。小説とかブログじゃなくてもいい。盆栽だっていいし、植物を育てるのでもいい。毎日ちょっとずつ世話をして、水をやって、枯れないように気を配って。そうすると少しずつ成長が見えてきて、「昨日より今日が進んでるな」って思える。そういうのが生活にあると全然違うんだよね。
僕は気をつけないと、ほんと毎日同じことの繰り返しでも全然平気で過ごしてしまう人間なんだよ。だから意識して「ちょっとした変化」を入れるようにしてる。新しいことに挑戦するほど大げさじゃなくても、日常の中で「少し違うこと」をやってみる。それだけで気分が変わる。そういう小さな工夫を重ねていくのって、大事なんじゃないかなって思うんだよね。
変化っていうのはあまり好きじゃないんだけど、でも「成長を感じる」ことは嫌いじゃない。小説なら、一行でも二行でも書き進めれば、それが完成に近づく。そうやって少しずつ積み重ねていくのが、自分にとってはちょうどいい変化なんだよね。
世の中がどんどん不安定になっていって、悪くなっていく時代だからこそ、自分の身の回りだけでも心地よい環境を整えるのが大事なんだと思う。ブログを書いて、自分の気持ちを観察して、ちょっと丁寧に生きてみる。そういう生活の中で小さな楽しみを見つけていく。それができれば、たとえ外の世界がどう変わろうと、自分の暮らしはちゃんと守れるんじゃないかなって思うんだよね。
まあ、僕にとってはそれが小説やブログだけど、人によっては別のものでもいいんだと思う。日常の中で「ちょっとした成長」を感じられる趣味。それが一番大事なんじゃないかなって、今はそんな風に思ってるよ。