超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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社会の常識はきっちり守る必要はないが、あった方が楽。

社会の常識はきっちり守る必要はないが、あった方が楽。


アイキャッチは大五郎のへそ天である。この子は野生の本能を忘れてしまったのか、ひたすら家では僕のストーキングをやっている。できることなら猫の多頭飼いでもしたいところなのだが、大五郎は貰ってきた動物愛護センターでも他の猫をいじめていたという凶状持ちなので、多頭飼いはしないように言われてるのである。


さて、土曜日であるな。今日は僕はアメリカンビレッジのジバゴコーヒーロースターに行ってコーヒーを飲み、その後、適当に自宅でコーヒーを飲みつつ読書でもしてる感じだ。明日は食材の買い出しに行かないといけないので、コストコにでも行こうかと思うところである。


今日は特に語るべきことがない。普通の休日であり、のんびりと時間を過ごしたいので社会のあれこれを大上段に切った張ったとか、あまり内に籠った内省的なことを書きたい気分ではない。今日は本当に単なる日記を書いてしまおう。


どうも最近は僕は絶好調のようである。あんまり後に引きずるような悩みがない感じであり、日々を淡々と過ごしている。なので、何かしら将来につながることがやりたくて、副業とか技術の勉強のことなどを考えたりするけど、これもまあいずれはやらないとならないことだろう。


こういう安定した状態になる前には色々と悩みを拗らせたりして大騒ぎをしてる時期もたくさんあった。ブログの過去の方を振り返ったりしてみると、会社を辞めるしかないと一人で暴走してる時期もあったりする。この時は本当に会社が嫌でゴネているのだけど、最近はそこまで極端に仕事を辞めるしかないと思い込むことは無くなったように思う。


無論、問題が無くなったとかそういう訳ではないんだけど、「どうでもよくなった」のである。どのみち僕は介護する母親を抱えていたりとか、僕自身も障がいを持っており簡単には離職できない感じであるし、そう簡単に仕事を辞められない。食うためには働かねばならぬし、「仕方ねーな」という気持ちで淡々と働き続けてるのである。


僕は仕事を辞めようと思った時に、ひたすら世の中の障がい者雇用で働いてる人たちのコミュニティなんぞを覗いたりして、他の人はどうしてるのか参考にしようとした。そうすると、どうも僕の労働環境というのは随分と恵まれてる方なのである。一応、僕は今の会社でプログラマとして正社員で8年ほど働いてるのだけど、他の障がい者雇用の人はそこまで安定した環境でもなさそうなのである。


それと、障がい者雇用の人が仕事を辞めたくなることはよくあることであるらしい。これは障がい者雇用に限らず普通の人でもそうかもしれないけど、働いていれば職場の嫌なところが見えてきて、今と同じ場所で働き続けていいのか悩むのはあることだ。


どうも、そこんところで色々と感情を拗らせてしまうことは誰でもよくあることのようなのだが、それで実際に仕事を辞めてしまってもそれほど良い未来が待ってる訳でもなさそうだ。働かずに一生食えるほどの貯金があれば良いかもしれないけど、そういう大金を持っていても、本当に悠々自適に過ごしてる人ってあんまり見たことない。


FIREだとか言って、貯金を切り崩しながら生活してる人のブログを覗いたりもしたりするけど、なんかそれほど幸せそうに見えない。確かに毎日が日曜日のような状態で、自由に生活することができる。しかし暇が有り余りすぎても自意識が飽和してしまうらしく、書いてる文章にどこか不安定さを感じるところがある。


休日に何か色々と余暇を楽しんだりするためには、平日にどこかの社会的活動に参加するのは不可欠らしい。もし僕がこれから死ぬまで食うに困らない金融資産があったとしても、自分が働くための会社を設立してしまい、そこに毎日通うような生活をするだろう。どうやら僕は、働くのは嫌いではないらしく、毎日やるべきことがはっきりしてる生活の方が楽である。


やっぱり人間というのは、生きるためにはある程度の社会的な承認が必要なんだろうなと思う。ただ生存するためだけなら水と栄養でもあれば十分なのかもしれないが、適度なストレスに晒されてないと妙な自意識の拗らせ方をする。ちゃんと社会に所属してないと、妙に自意識を肥大させたりとか自尊心を損なってしまうのがあるようだ。


僕もそれなりにネットを通じたりして色々な人々の人生をのぞき見してきたのだけど、ちゃんと働いてる人の方がメンタルヘルスが安定してるようだ。昼間はしっかりと働いて、その傍らで趣味のことを色々とやってる人の方が人生が楽しそう。僕程度が人の人生に対して色々と評論ができるような偉そうな態度をするのも不遜であるが、実際まー、僕はそう感じたので仕方がない。


人生には自由というのは必要ではあるけど、自分でもコントロールできないほどの自由さというのは不安になるだけだなと思う。生きる上ではある程度、何をするかの指針というのは示してほしい。そういう所で世間一般に認められてる常識というのは、窮屈にならない程度には従ってる方が楽だ。無論、そこにハマろうとしてもはみ出してしまうから息苦しいのではあるが、こういうのは生真面目にきっちり守らなくていい。自分ができる範囲で社会の常識というのを、楽に生きる指針として利用したら良いのである。少なくとも僕はそう考える。

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