
人生は疲れるが習慣でやりくりするしかないか。
最近、どうも夕方になると気分が落ち込むことが多い。病気というわけでもなく、はっきりとした原因があるわけでもない。ただ、なんとなく沈み込むような感覚に襲われて、世界全部が終わったような気持ちになってしまう。これが毎日となると、正直しんどい。けれど僕は瞑想やマインドフルネスを続けてきたおかげで、気分の落ち込みを「今そういう状態なんだな」と認識するメタ認知はできている。だから必要以上に思考がぐるぐる暴走することはない。それでも、体が疲れると心まで沈むのだと実感することが増えた。
結局のところ、対処法はシンプルだ。さっさと飯を食って、風呂に入って、寝る。それしかない。年齢を重ねると、無理が効かなくなってくるのは当然だし、むしろその当たり前を認めて早めに休むことの方が大事なのだと思う。だけど同時に、このまま年を取ってさらに動けなくなったらどうなるんだろう、という不安も湧いてくる。創作だってまだまだやりたいし、運動も続けたいのに、夕方になるとメンタルが落ち込む。これはなかなか困った課題だ。
じゃあどうするか。結局、生活習慣を整えるしかないのだろう。しっかり運動して、しっかり食べて、早めに寝る。健康診断も受けて、壊れる前に異変を察知する。それ以外に王道はない。僕は過去にメンタルを壊した経験があるからこそ、健康の大切さを骨身にしみて理解している。一度崩れると、体のどこかしらが常に不調を訴えるようになり、日常の難易度が一気に跳ね上がる。元気な人にはなかなか伝わらないかもしれないけれど、健康を失うと「当たり前」がどれだけ有難いものかを痛感するのだ。
ただ、健康を守ることと同じくらい大事なのは「無理をしすぎない」ことだ。ブログも書くし、小説も書きたい。母親の介護もあるし、仕事だって続けている。やろうと思えば人間は案外根性でなんとかできるものだけど、それにも限界がある。自分は色々とやりすぎなんだと思う。明らかにオーバーワークを起こしているし、この調子で何年間も走り続けたらあっという間に燃え尽きて、真っ白な灰になって椅子にへたり込んでるのが目に浮かぶ。
だから最近は、頑張るだけじゃなく「楽してできる工夫」を考えないといけないなと強く思う。結局、人間は習慣の生き物だ。習慣が行動をつくり、その積み重ねが人生を決めていく。意思の力だけでは続かない。だからこそ習慣を飼いならすしかないのだ。人間は結局のところ自分ができることしかやろうとしないし、無理をしてもすぐに重力に引かれて元の一番楽なパターンに戻っていくのだ。
具体的には、普段の生活を棚卸しして無駄を削る。やるべきことを洗い出し、それを習慣のルートに組み込んでいく。それが長期的に見れば最も現実的な対処法なのだろう。とはいえ、言うは易しで、完全にコントロールなんてできやしない。世の中には完璧に習慣化しているように見える人もいるけど、それはリップサービスの部分も大きいだろう。僕だって習慣化の鬼みたいなことをしているつもりではあるが、まだ工夫できる余地はあるんじゃないかと感じている。
たぶん、今が限界に近いのだろう。ここから先は「選択と集中」が必要だと思う。すべてを同時に抱え込むのではなく、何を最優先にして残りの人生を積み重ねていくか。その問いに向き合いながら、日々の習慣を微調整していくしかない。人間は永遠に生きられるわけじゃない。だからこそ、今できることに手を伸ばしつつ、未来に備える。そのバランスの中に、僕のこれからの生き方があるのだと思う。