超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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少しは目的をもって何かを書いても良いかもしれん。

少しは目的をもって何かを書いても良いかもしれん。


旅行期間中のブログを前もって書こうと思って、2022/09/10にカフェに篭ってブログを書いている。さて、何を書くべきか?と頭を悩ましてるところである。


僕もブログの毎日更新を始めて5年以上継続してきているけど、いきなりブログを書けと意気込んだだけでブログが書けるほどそこまで軽い習慣でもないというのはあるね。いや、僕にとってはブログを書くのは歯を磨くのと同じような習慣で、毎日書くのが楽しみで書いてはいるけども、何も考えずに手なりでダラダラ書いても良いか?というのは悩むところでもあるのだ。


本当に頭を使わずに2000字をフリーライティングで殴り書いてみてはどうだろう?と試してみようかとも思うけど、そうやって書かれた文章は衆目に晒すにはあまりにもクオリティが低すぎるものになるであろう。一応、ブログを書くときはそれなりに緊張感を持った上で執筆せにゃならんかと思うのである。単純な日記とも違ってブログで書く文章というのは、他人に読まれる前提であるので、あまりにも思考をフィルタリングもせずに垂れ流すのは考えものであるかと。


まー、でも、僕はブログ毎日更新というのは鉄の掟であるし、いざという時にまとまった文章をさっくりと執筆できるような準備は必要であるかと思うよね。こういうのはいつでも思いついたことを記録しておくメモ帳を用意しておいて、このネタ帳を確認したらすぐさまにでも膨らませてまとまった文章をアドリブで書けるような能力が必要になるのであろう。どーなんだろ、僕はそういうアドリブで適当に読める程度のクオリティの文章を書く才能には恵まれていると思う。このブログを執筆するときのスタイルというのは、その時の思考で浮かんでるアイディアを徹底的に膨らませまくって、思いつきを文章化してダラダラと書き綴ってるという風なやり方である。


僕がブログで書いてる文章というのはそれほどクオリティの高い文章であるとは思わないけど、毎日、五分程度昼休みにでも読むようなブログの文章としてはこんなもんで良いかな?とある程度自分では妥協している。もうちょっとクオリティを高めて質の高いエッセイみたいな文章を書いてみたいなという思いもあるけども、そういうのを書こうと思うと毎日の執筆時間の1時間では完結しない。僕がこうやってブログを書くのは、生活の中で1時間だけ時間を作ってその中で思いついた文章をアウトプットしているという習慣の産物であるのだ。


僕は毎日何も考えずにブログを書き殴ってはいるけども、もっと質が高い文章を書いたりとか文章を執筆する速度をスピードアップさせる工夫をしてみてはどうだろう?という思惑はなくもない。PDCAサイクルを回しまくってより良い製品開発を志していくのは、事業継続のためには欠かせない考え方であろう。


しかしまー、僕は別にこのブログは事業でやってることでもないのだ。なんか、手段と目的が逆転しちゃって、ブログを書くためにブログを書いてるという風な目的の不在があるよなーとも思う。このブログを書き始めた当初の目的というのは、メンタルの病気からのリハビリを目指していて生活習慣を整えようという目的でブログを書き始めたのであるが、今では単に1日に一定量の文章を書くことが習慣であるから続いている。毎日時間をかけてやってる行動なのだから、何かしらの目的みたいなもんを持っても良いのではないかと悩ましいところではある。


僕は小説も書く人間でもあるし、もうちょっといろんな文章表現を高める目的で毎日のブログを書いてみても良いかもしれないな。ちょっとしたエッセイ的な、読んだ人に何かしらの気づきを与えるようなクオリティの高い読み物というのを目指してみても良いかもしれない。僕がブログで書く文章というのは、そこまで他人が読んでどう思うかということに対して力点をおいてはいないのだね。書くために書く文章であるというか、単なる自分の心情の吐露をやるためのツールとしてブログを利用しているのであり、そこで他人に対して何かしらの影響力を与えるようなことは計算していない。


文章というのはコミュニケーションツールであるし、読んだ人に自分の考えを伝える方法を洗練させるというのは決して悪くない試みであると思うけどね。僕は自己肯定感は高いけども、それ故に他人から自分がどう思われているかあんまり興味がないという悪癖がある。他人がどう思っていようが自分は自分であり、自分の思い通りに他人が動かなくても別に悩まない。そんな風に考えて日々行動してはいるけども、人間というのは社会的な生き物であるし、自分の考え方を他人に受け入れられるように努力するというのは、決して歪んだ考え方ではないであろう。


もうちょっと優れた文章表現というのを追求しても良いかもしれないな。自分が考えていることを文章を媒体として他人に伝えて、それで仲間を増やしたりとか自分に有利な状況を作り出せるようなツールとして洗練させても良いかもしれない。僕はなんか、無欲というよりは無知なんだよな。もうちょっとは世間擦れもした方が良いけどなと思うけどね。

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