
映画の「Michael」を観てきた。
さて、月曜日の朝である。普段の僕であればここで散々愚痴を書くが、今日は体調が割といい感じがする。土日は休みに全力を注いで、最近の過集中の原因のブログの開発なんか全くやらなかったもんだから、体も心もリフレッシュできたみたいだ。昨日は映画の「Michael」をレイトショーで見に行った。わりかしというか、スッゲーよかった。監督がIMAXでの視聴を推奨しているってことで、僕もIMAXで観たけど、確かにあれは映画館でIMAXのような音響の良い環境じゃないと感動しないわ。
マイケル・ジャクソンの半生を追った作品で、音楽とダンスが主題の映画。IMAXだと、音の迫力が凄まじかった。重低音が体にびんびん来る。特にエンドロールで流れるマイケル・ジャクソンメドレーがハンパじゃなく豪華で、IMAXじゃないとあの臨場感は出せないだろうなって思った。
マイケル・ジャクソンの人生は、僕が小学生や中学生の頃に、彼の悲劇的な終わり方を迎えたのを知っているから、映画はその辺りの人生後半のスキャンダル周りをどう描くのかと思ったが、映画自体は彼の絶頂期で終わるので、逆にすごく悲劇の描き方として上手いなと感じた。
彼の人生を見て思うのは、才能が必ずしも幸福な人生をもたらすわけではないということだ。マイケル・ジャクソンはダンスと歌の才能がおそらく20世紀でも最高クラスの人物であるが、その才能が周りの人間関係に圧力を生み、父親から搾取され続ける人生になった。最近読んだ「残酷すぎる成功哲学」にも書いてあったけど、幸福と成功は必ずしもイコールじゃない。どれだけ才能があろうが、努力して成功しても、それが人生の幸せに繋がるとは限らない。
あの作品を観て、人生について考えると、農家のじいちゃんや公園でぶらぶらしてるおじさんたちが、そんなに頑張らなくても孫と遊んで楽しそうにしてるのを見て、彼らはそれなりに幸せな人生を送れているんだなーと考える。一方でマイケル・ジャクソンの人生はどうだろう? あれだけの大成功と財産を築きつつも、そのためかえって家族の分断を産み、普通の人がしなくても良い苦労をしている。成功しても必ずしもハッピーエンドではない人生もあるんだよね。マイケル・ジャクソンの人生もそんな感じで、彼は多くのファンと才能を持ちながら、人生の終わり方は決してハッピーエンドではない。
マイケル自身はギバーで人に与えることが好きな人だったけど、与えるだけ与えて自分を擦り減らしてしまったのかもしれない。彼の人生と音楽はこうやって映画にもなったが、彼自身の人生が幸せだったかどうかは別の話だ。人生でやれることって何だろう、と僕も妙に内省的になってしまった。
自分には大した才能もないし、特に優れた業績もないけど、それでも生きていく中で何かやれることがあるのかな、なんて思った。僕はまぁ、何かの大成功をする可能性というのは低いが、それでも幸せに生きることはできそうな気がする。今回の映画を観て、人生って皮肉なもんだなと感じたね。幸せに生きることと、使命を全うすること。それらは必ずしも両立しない。マイケル・ジャクソンは自分の人生を燃やし尽くしたけど、彼の人生が幸せだったかと言うと、彼の後半生を知ってると「そうでもないな」と思う。
この映画を通して、自分はどうしたいのか、何を求めて生きているのかを考えさせられた気がする。月並みではあるが、音楽も良いし、そういう普遍的な内容も含まれているし、上映期間中にIMAXで見た方がいい映画っすよ。