超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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明日、清明祭行ってきます。

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明日は清明祭なんですよね。


まぁ表題の通りなんですけど、明日はシーミー行ってくるんですね。


シーミーってのはまぁこういう行事である。

中国における清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。

琉球民族は「シーミー」(琉球語首里地方では「ウシーミー(御清明)」)清明祭と呼ぶ。琉球諸島では中国の風習と同様にお墓の掃除をするとともに墓参を行い、まるでピクニックのような雰囲気で親類が揃って墓前で祖先と共に食事(餅や豚肉料理、お菓子、果物など)を楽しむ風習が見られる。


ja.wikipedia.org


まぁ、基本的に沖縄は中国の文化圏なので、行事ごとなんかは中国と一緒なんですよ。どっちかというと正月も旧正月の方を大きく祝いますし。最近の那覇あたりではちがいますけど、糸満とかの漁師町ではいまだに旧正月を大きく祝うし、学校なども休みです。


でも今ではどうなってるか分かんないですね。僕は本籍地が南城市奥武島なんですけど、奥武島ではハーリーのときも学校休みでしたな。


奥武島は今でこそ観光地化してますけど、昔はヤバめの漁師町でしたぞ。よそから奥武島に入ってくる奴がいたら、みんなで捕まえて橋から海に放り込む。島の近くの道をよそ者が走ってると原付で追っかけてきて取り囲む。ピザーラが配達のために奥武島近辺を走ってると、原付に襲われてピザを奪われたって話も聞いたな。


まぁ、東京一極集中の文化の偏重がよろしいというわけでもあるまい。僕はこういう地方に残った文化も大好きだ。金と時間があるならば、日本中の変わった文化を旅行して見ていきたいなーなどと思っておる。ブラタモリとか好きだしな。

今日の徒然


今日は一日中眠っていて不健康な生活でした。まる。・・・・・・で終われたらなんと楽な事だろうと思うのだが、書く事があろうが無かろうが書くのが、ブログの修羅の道! しゅらしゅしゅしゅ! という感じである。


なんだろうね、今日は歯医者に行って奥歯の銀歯を詰めてきて治療完了。その後、明日の清明祭のための準備に農連プラザに行ってきた。





http://nouren-plaza.com/nouren-plaza.com



開南辺りの市場は昔はごみごみした感じだったんだけど、随分と綺麗になったなーって感じ。昔はあの辺りは、The 沖縄って感じの市場が広がっていたのよ。全部、農連プラザの中に押し込まれて窮屈になりはしたものの、利便性は上がったかなとおもう。


開南辺りの風景は随分と変わってしまったように思いますな。昔はあの辺りは仏壇通りで色んな仏具店が並んでいるような場所で、裏に行くととんでもない安さの食堂が並んでいて、オバァたちが地べたに座り込んで野菜を売っているような、昔ながらの沖縄の台所って場所であった。


再開発が進んで、昔ながらの市場は建物の中に押し込まれてしまった。それでも、そこで働いている人は変わらないし、使いやすくはなったではある。まぁ、そういう事じゃないだろうなーとは思うが、こういう発展もまぁ人類が歩いて行く上では必要では無いかと思う。

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