僕自身の承認欲求について自己分析する。
今日は午前中には歯医者に行き、夜からはちょっと遊びに外出する予定。このブログを書いている時間は16時ごろであるが、さっさと書き上げてさっさと外出してしまうとする。
今日は午前中は特に予定がなかったのでニュースレターを書くなどした。ニュースレターの登録方法などはこちらに記載しているので、興味がある方は登録してみてください。
最近はなんか民主主義がなんちゃらかんちゃらとかその辺りの持論を書きまくってる感じ。ちょっと僕は最近は民主主義のこれからに興味がある。以前、コテンラジオで民主主義の歴史を語ってるシリーズがあったので、そちらの方を再聴しようかなと思う次第である。
しっかしま、どうも最近は承認欲求を拗らせがちだなと感じる。ブログのスターが少なかったりとかちょっとアクセス数が減ってるだけでなんか気になってしょうもない。こういう時期はたまにあるのだが、特に原因となるような出来事というのはなくて、たまにある気分のムラのようなものだ。
承認欲求についてもいろいろと考えることがある。僕はこうやってブログやニュースレターを書いたりなど、ネットでいろいろと自己表現をしてる人間であるけど、この書いたものをネットに晒すモチベーションというのはやはり承認欲求だろう。
しかし、ごく稀に僕のブログでもバズったりする記事が発生することもあるけど、多くの人に読まれたとしても「こんなもんか」という感慨なのである。読者が減ったりとかリアクションが全然得られない時の気持ちというのはものすごい渇望感であるけど、それを満たせたとしても満足感というのはそんなにない。
人間というのは何か報酬系の刺激で快感があったとしても、長い間継続してるとすぐさまその刺激には慣れてしまうような動物である。しかし、それらの報酬系の刺激がなくなってしまったとしたら、その後には依存症の禁断症状に伴う渇望であり、なので僕は依存症になることは元々やらない方がいいと思ってる。
これは「期待をしなければ失望することがない」という理屈の元から生み出された考えだけど、多少不健全というか、人間の思考パターンとしてはどこか欠点があるような気もするのである。
欲望というのを全く断ち切ってしまい、全てのことに禁欲的に生きることが幸せな人生だろうか? これは僕は多少気をつけないとならないことであり、人間らしい欲求に対しても嫌悪感を持ってるフシがある。理性が強すぎるというか、自分の欲求全てを理性でコントロールしてしまうすごい超人にたいする憧れというのがあったりする。
これは全く誤った考え方だ。欲望を全部抑えきり、自分の理性だけでストイックに生きるというのはカッコ良い風に見えるけど、これは下手をすると何も考えてない人の行動パターンであり、人間的な成熟度としては大したことのない人物である。
ストイックな性格というのは、苦しいことでも頑張って耐え抜くタイプの人のように見えるけど、実は違う。本当のところは、自分の決めた行動パターンを変えたくないから、周りの人の言ってることとか物事の道理も無視して、自分のエゴでやりたいことを好き勝手やりたい人である。
僕がストイックかどうかは分からんが、ひとまず僕は周りが何と言おうとも自分がやりたいことをやりたいと思うので、自分勝手にやりたいことをやりたい放題してるだけである。当然であるが、そういう自分のやりたいことだけをやっていては、他人から評価されることはない。だけど僕の持っている承認欲求というのは、自分の好き勝手なことをやりつつもそれを他人から褒められたいと思う気持ちである。
評価されるブログとか文章についていろいろと考えを巡らしたりするのだけど、人がどのような需要を持っておりそれに合わせ書きをしようと頑張ってる人というのは、人に寄り添う気持ちを持ってる「いい人」なんだと思う。僕が書いてる文章というのは「勝手に書くから読みたきゃ読め」という傲岸不遜の態度のもとで書かれている。
こういう心理というのは、そもそも自分が何をやっても他人から認められてないというネガティブな強迫観念のもとでやっちゃってることである。最初から自分の持ってる承認欲求というのは、満たせないことを前提にして行動してるので、ならば他人の視線なんぞどうでも良いという自暴自棄な態度を伴っている。
これは割と、というか随分と不健全な欲求の持ち方である。認められたいという自然な承認欲求までも押し殺して、拗ねた感じで自分のエゴを突き通してるので、現在と同じパターンをこれから先、繰り返していても永遠に満たされることはない。なので、最近の僕の改善のテーマとしては、こんな感じの自分の自然な欲求を持ってることをどうやって受け入れて、それを自然な感じで昇華させるにはどうしたらいいか? ということを考えている。
僕は認知行動療法とかスキーマ療法についても興味があるからこんな感じで自己分析したりする。いろんなところがいろんなコンプレックスでねじ曲がって複雑怪奇なパーソナリティになってるなーと思うが、案外こういう自分も嫌いではない。