超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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文章書く上では正しい自己顕示欲って必要なんだと思う。

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文章書く上では正しい自己顕示欲って必要なんだと思う。


最近はしばらく計画休業というのがあって、給料はもらえるけど休日という日が多い。最近は週3~4勤務ぐらいで働いている。どうも、コロナ禍に政府が対応するために雇用調整助成金というのがあるらしくて、ある程度休業があった方が会社はお金がもらえるらしい。おかげさまで最近は休みが多くて、趣味や勉強が捗る。


まぁ、手放しで喜べるような事態でもないんだけど、僕の雇用形態だと休業は増えるけど給料は変わらないので、実質的に得をしている状態ではある。だけど、この雇用調整助成金というのは年末までらしいので、おそらく来年からは普通に週5勤務だろう。良いんだけどね。休日はやっぱり出費が多くなるし、僕は基本的には会社で働いているのが好きな人間なのであんまり休日ばっかりというのもつまらない。でもまぁ、結婚したばかりなので嫁さんと一緒に居られる時間が増えてるのはいいんだけどね。今週末なんかは、そろそろ月末で予算が厳しいので、二人でスタバなどに出向いて二人とも小説を書いている。


ここ最近、物書きに関する話題がマイブームなので、今日も何かを書くことに対する考え方などを書いちゃおうかな。週刊はてなブログでこんな記事があった。


blog.hatenablog.com


おもしれぇな、と思った。はてなブログはこういう人材が埋もれているから面白い。

中学生から始めたライブドアブログはてなダイアリーに移転させて、はてなブログへ。そんな流れでもう20年以上ブログをやってきました。はてなのアカウントを取得して設定していく時の「ここを俺の城にするんだ」というワクワク感を今でも思い出せますが、見た目には何もこだわらないので10分で終わりました。
 僕にとってブログは、書いたものをたくさん置いておけて気に入らない文があればいつでも直せる自分のための練習の場で、それ以外の意味はあまりなかったように思います。たまについたコメントも返さないことも多かったし、ずっと内にこもって同じことをしてるだけだからブックマークもあんまりつかなかったし。

 それでよかったのは、読むことも書くことも、僕にとっては長らく一人でする恥ずかしいものだったからです。でも、それより夢中になれるものはなく、人生において最も優先すべきは「書くこと」でした。そして、それは長らく「ブログを更新すること」と同義だったのです。その積み重ねが一応は小説家という現状につながって、その結果、書くことはブログから少し離れましたが、嬉しいことに、過去の記事がまとまって本になりました。


はてなブログでブログをやってる歴としては僕も結構長いんだけど、この乗代雄介さんは、ブログを見る限り2001年から書いているね。書籍化はうらやましいよなー。やっぱり芥川賞にノミネートされるなんてネームバリューが付いたから書籍化なんてできるんだろうな。


僕のブログも2006年から14年続いているから書籍化しねぇかなー?とか思うけど、まぁ無理だろうな。ブログやってる奴だったら書籍化とかは一度は見る夢だったりするけど、僕のブログは別に文学的だったりとか、書いてる人が有名人とかの特別なバリューがある訳ではない。ちと頭のねじが緩んでる一般人がその日その日の思いついた徒然を滔々と垂れ流しているブログだ。文章は上手くありたいとは思うけど、どうすりゃ多くの人に読まれるような文章を書けるのか全然分かんねぇんだよな。


個人でも情報発信している奴だったらいくらか自己顕示欲みたいなものはあるんだろうけど、僕は毎日更新で4年ばかり書き続けてきたらそういうのはどうでも良くなってきた。この心情の変化は、年齢のために成熟してしまったのか反応が薄い事に慣れてしまったから身の程が分かってどうでも良くなったのかは分からない。しかしながら、文章を上達させたりとか誰かに読まれる文章を書こうと思うなら、そういうモチベーションをドライブさせる分の自己顕示欲みたいのは残しておかないと成長はないだろうなーとは思う。読書猿さんがこんなことを書いていた。



人間としての成熟はそうかもしれない。でも物書きはどうだろう? 文章を書くこと自体を目的にするならば、ブログを書くことは面白い趣味よ。でも、本当に自分の中だけで自己完結させてしまうと、言葉はどこにも届かないのではないか?と最近、疑問を持つようになってきた。少なくとも何もなくて無目的に文章を書き続けられるほど僕は強くねえな。毎日書くエントリーにスターが付いたりとか、たまにコメントがもらえたりする事で自分の書いている事が誰かに読まれている実感がないと、僕は書き続けられなかったのではないかと思う。ま、資本主義社会もここまで発展したのは誰かの欲望をポジティブに変換して成長したり発展したりしてきた結果なので、物書きにとっては正しい方向性での自己顕示欲って必要なんだろうな。


誰かに届けと祈りを込めてボトルメールを投げ続ける行為。僕が文章に向き合う態度ってそんなもんだろうな。こういう記事では次の文章でいつも締めている。今日も貼り付けておこう。

表現とは、誰かに何かを伝えるためにあります。
つまり、どんなに伝えたい事があっても誰も読まない記事は表現ではありません
ですがどんなに多くの人に読まれても、そこに伝えたい事が無ければ表現ではありません

ブラックジャックによろしく 13巻 38ページ

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