超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

少しは人生に潤いをもたらす行動をすべきか。

少しは人生に潤いをもたらす行動をすべきか。


はい、こんにちは。おはようございます。今日もブログを書いていこうと思う。
昨日はなんていうか、気分が沈み込んでる状態で一日を過ごしてたんだよね。母親の入院先の転院作業があって、朝から晩まで妹と一緒に銀行だの役所だの病院だのと動き回っていた。まあ、そういうことやってるとさ、体力的にもメンタル的にも消耗するし、夜にブログを書いたときもどうにも気分がダウナーなままだった。そういう日はもう、文章を書くのも正直めんどくさくなるけど、それでも書くのをやめたら自分のペースが崩れてしまうから、結局書き続けることになる。


人生ってのは思い通りにならないもんだなあと改めて思う。しょうがねえよな、と言って済ませられることもあるけど、毎回そう割り切れるわけじゃない。特に自分みたいにいろんな事情を抱えて生きてるとさ、比較なんてしても意味ないってわかってはいるけど、ついつい他人と比べたりしてしまう。だけど、やっぱり人生は比較しても仕方がない。誰もがそれぞれの苦しみや楽しみを持って生きてるわけで、そこに優劣をつけたところで意味はない。最近になって、特にそのことを強く感じるようになった。


それでも、自分自身をどう評価するかという問題は残る。他人から見てどう思われるかじゃなくて、自分で自分をどう保証するか。生き様ってのは誰かに見せるためのものじゃなくて、結局は自分自身が納得できるかどうかなんだよな。もし自己否定に走って「自分はダメだ」なんて言い出したら、それこそ生きる気力が一気に失われてしまう。だから、多少なりとも「これでいい」と思えるポイントを持っておくのが大事なんだろう。


僕自身、正直言って立派な人生を送っているとは思ってない。楽しいことよりもしんどいことのほうが多いし、世間から見れば普通以下の生活だろう。でも、それでも「まだやってる」と言えるだけのことはやってきたつもりだ。それを自分で認めてやらなければならない。条件つきでもいいから「まあ悪くない」と思うこと。それがなければ生きていくのがしんどくなる。


最近ふと思いついた言葉がある。「退屈は無味無臭の毒薬」。退屈してると、人間は碌でもないことばかり考える。過去の失敗やら恥ずかしい記憶やらを掘り返して、自分を責めるような思考ループに入る。あれはほんとによくない。だから、退屈の中に小さな楽しみを見つけていくことが必要なんだろうなと思う。自分を肯定する手がかりを生活の中にちりばめておかないと、気がついたときにはネガティブに押し潰されてしまう。


僕の悪いところは、一度習慣が決まると、それを延々と繰り返してしまうことだ。毎日同じ時間に同じことをやって、同じように過ごす。それはある意味で楽なんだけど、長く続けると退屈になって、鬱憤がたまって爆発してしまう。そうなるとだいたいろくなことにならない。だから、同じルーチンの中でも少し工夫して、日常に新しい刺激を加える必要がある。例えば、普段の作業をちょっと違うやり方でやってみるとか、新しい音楽を聴いてみるとか、そんな小さなことでも構わない。そういう工夫をやることで、惰性ではなく「今日もやったな」という感覚が残るんだと思う。


惰性で雑に生きてしまうのは本当に良くない。ブログを書くこともそうだ。毎日同じようなことを繰り返し書いていると、自分でも飽きてくるし、文章に新鮮さがなくなる。だから、ほんの少しでいいから工夫を入れて、新しい切り口を試したり、挑戦を加えたりすることが必要なんだろう。母親の入退院を通じて、日常が「連続しているようで実は不連続」だと実感する。毎日は同じように見えて、実際には確実に時間が削られ、寿命は減り、環境も変わっていく。そう考えると、自分がずっと同じままでいるなんて無理なんだよな。だからこそ、自分を楽しませる工夫を仕込んでいかなきゃならない。


結局、人生はただ繰り返しているようで、少しずつ確実に変化していく。だからこそ、毎日の繰り返しの中で「ほんの少しの進歩」を意識することが大切なんだろう。新しい技術を学んでみるとか、いつもと違う散歩道を歩いてみるとか、そういう小さな一歩でいい。そういう積み重ねが、退屈を遠ざけ、自己否定からも距離を取る助けになるんだと思う。


まあ、なんだかんだ言っても、人生は思うようにはならない。それでも、ただ流されるのではなく、自分なりに小さな工夫を積み重ねて「今日も悪くなかった」と思えるようにしていくこと。多分それが、自分にできる精一杯なんだろうな。

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