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「知的生産の技術」(梅棹忠雄著)を読んだ。

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「知的生産の技術」(梅棹忠雄著)を読んだ。


特に書くことがない。モーニングページなどの書き方であれば、3ページ全部に「書くことがない」と埋め尽くすぐらいの書くことの無さである。いや、実際のところは今日はイベント盛りだくさんではあったんだけど、プライベートすぎる事であんまり書きたくない。うちの一族のいろんな行事ごとの集まりがあったのだけど、そのせいで夜にブログを書く時間まで食い込んでしまい、夜も寝るのが遅くなりそう。


考えてみれば昨日も親族関係の出来事で、ろくろく小説を書くことができなかったのだけど、ちょっとブログの書き方についても考えておかないといつか連続更新が途切れそうですよね。なんか、急用でブログが書けなくなるような出来事は普通に起こりそうではある。ある程度、緊急時の記事のストックは用意しておいた方が心安らかに日常を過ごすことができるであろう。ちょっと、ブログのストックは用意して、緊急時に対応できるようにはしておいた方が良さげだよね。


今日は読み終わった本の感想でも書くか。ちょっと前に「知的生産の技術」(梅棹忠夫著)を読了した。読書メモはとってあるので、それを晒して、本全体を通じて感じた感想を書いて今日は終わろう。


まずは読書メモを書いたので、そちらをそのまま公開しようか。

メモを付ける事について詳しく書かれている。

イデアは思いついた時にメモを取る。

メモはその場で豆論文を書く。

コンピュータプログラミングをエンドユーザーが書いて使うかもしれないなど、先進的な事も書いている。

情報は使わないと意味がない。

アナログ時代は整理が重要だった。この本では文房具の話がよく出てくる。

古い記憶を取り出せる整理法が重要。

知的生産で得られるのは心の整流。情緒不安定では大量の水は流れない。

読書はアンダーラインをつけながら読む。

読書メモは自分が面白かった事を書く。

読書は触媒。その本を読んで自分の考えを深めるために読む。

記憶をするのではなく、記録する。

文章を書くのは、文学的な美文を尊ぶのではなく、思考をしたり相手に伝えるために文章を使うのが知的生産での文章術。


この「知的生産の技術」ですけど、知的生産の名著として知る人ぞ知る書籍なんですよ。知的生産クラスタでは、この本をまずは読んでみて考え方を学ぶのに使われる様な本なのです。


僕が読んだ感想ですけど、まず真っ先に感じた事は、1969年に書かれた本なのでそのまま現代で通用するような本では無いということ。梅棹氏の書いてある知的生産の技術は文房具や事務用品を組み合わせてカードを使ったり紙をファイリングをしたりするようなテクニックであり、コンピューターが発達して、情報管理がデジタルでいろいろと出来るようになった現代では、さすがに時代遅れとしか言いようがない。


だがしかし、梅棹氏の先見性がすごくて、これから先の時代ではエンドユーザーがコンピュータプログラムを書いて情報管理する事を言い当てているんですね。また、知的生産のマインドセットに関しては全く古びれてないんです。メモをどういう時に取るかの考え方とか、アイディアの生み出し方、日記の書き方、読書のやり方、文章の書き方みたいのは使えると思います。


この本で僕が参考になると思ったのは日記の書き方と読書のやり方ですね。


梅棹氏の日記の書き方が僕の作業ログの取り方のchangelog形式と一緒だというのは、こちらのエントリーで書いてある。


www.ituki-yu2.net


一日の終わりに今日あったことを日記帳に書くようなやり方ではなく、その日にその出来事があったらそのまま手帳を開いて時刻を書いて事実を書き込むだけというような日記というよりは業務日誌の様な書き方。これは自分も使えると思ってEvernoteでマネするようになりました。一日一ページを使って、何かあるごとに打刻して写真やメモを書き込むような手法で日記を書く。これが継続していったら将来的に過去を振り返るのには便利な仕組みになると思う。日記というのは別に抒情的な文章を書く必要なんざなく、ただ事実だけを後で読んで理解できるように書いておけばいいのである。後は書くのがめんどくさくなるような書き方をしない。出来事があったときに事実を書く方法であれば、メモを取るのと変わらないのでめんどくさいことはなにもない。また、記憶が鮮明なときに出来事を記すので、間違いのない情報を記すことができる。


後は本の読み方も参考になると思いました。「読書は触媒。その本を読んで自分の考えを深めるために読む。」という考え方です。


本を読むときに作者の考え方をそのまま自分の中にインストールしようとしても、単なる劣化コピーにしかならない。その作者の考え方を知りたいのならば、その作者の書いている本を読めばいいのであり、いちいち自分の記憶に丸ごとコピーしようというのは無駄な行為です。古い教育では素読とか言って、難しいものを難しいままに理解させようとするような読書法を勧めていた様ですが、読むべき本が無数にある現代でいちいち全部の本を記憶するというのは時間がいくらあっても足りない。


なので、読書をするときにその本を読んで自分が何を考えて何を感じるのかを重視した方が良い。その著者の考え方は無視して、その本を読んで自分が面白いと思ったことを読書メモなどに残すのである。本を触媒として自分の考え方を深めるのに使うのだ。本の内容というのは読み返せば分かるけど、自分の考えというのはこれからアウトプットしないと分からない。死んだデッドコピーよりは、生きた自分のアイディアを膨らませる方にリソースを割り振るのが良い。


このほかにも知的生産の考え方がいろいろと書いてありました。すぐさま現代で使えるような本では無いですけど、興味があれば読んでみると良いです。


知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

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