超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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正しい怒り方というのが分からない。

正しい怒り方というのが分からない。


腹が立つことが多少あった。どうも、これは僕にしては珍しいことである。いや、相手から怒られてへこたれたりすることは多いけど、自分自身の方から自発的に怒ることというのは僕は珍しいのである。あ、ちなみにリアル関係でネットの人間関係は関係ないっす。


いまいち僕は自己主張が苦手というか、相手から自分の権利を侵害されても「仕方ないしなー」みたいな感じで自分が引くことの方が多い。ムカつくことがあったのなら、相手に悟られないようにそっと引いて、それから今後未来永劫一生顔を合わせないようにFOするとかそんな感じである。


これはちょっと違うかもしれないけど、自分の権利を守るために怒りのポーズをするのが苦手なのである。倫理的なことであれ、わざわざ事を荒立てて、相手と主義主張を戦わせるタイプの正しい交渉の怒りというのが苦手なのである。若い頃の僕であれば、感情のままに荒れ狂い、後先考えずに暴言を吐くというタイプの怒り方というのは何度かやってるのだが、いい歳になるとそういうのは自分の方も傷つくというのを知ってるので、腹立たしいことがあっても自分の中に押さえ込むのである。


村上春樹さんのエッセイのどこかで見かけたことがあるんだけど、村上さんがレストランで失礼な接客をされた時は、丁寧に心をこめた手紙を書いて、改善してもらいたい点などを提案するような怒り方をするらしい。こりゃまぁ、「すっごい大人だ」と僕は感心してしまう。や、なんか手紙の内容次第ではすごい陰険な感じに映るかもしれないけど、きちんと相手の立場も尊重した上で自分の意見も聞いてもらうというのは、大人じゃないとできない。


追記:
調べてみたら新聞記事が言及してる内容があったね。
www.okinawatimes.co.jp


どうも僕は村上さんのように自分の意見を相手に伝えて、Win-Winの関係を作るためのコミュニケーション技法というのをちゃんと身につけないとなと考えさせられる。どうも僕は、「こうやればもっと改善できるのになー」というようなことでも、相手に一度だけ伝えて、それで相手が理解をしないと諦めるところがある。


僕がやってるのは遠慮とか謙遜とかそういう殊勝な態度ではなくて、「こいつのレベルだと自分の考えてることの理解は無理かー」という摩擦を恐れるための日和見である。わりかし僕も気は短い方なのだけど、その怒りの方向というのが相手よりも先に自分の方に向きがちであり、僕がブチギレた場合には暴言を吐いて自分の思い通りに相手を動かすよりも、自分が傷つくのが嫌だから視野から早急にムカつく相手を消去するための「完全無視」なのだ。


SNSでもいろんなものに激怒して相手にクソリプを送るやつは大迷惑であるが、ちょっとでもムカつく発言を見たら片っ端からブロックするタイプも大概である。僕は明らかに後者であり、不愉快なもので自分の腹を立てるぐらいなら綺麗な海の写真とか猫画像でも眺めてる方がマシと思うタイプなのである。なので、近年ますますオルトテック化が進むTwitter改めXに関しては、存在自体が受け入れがたくなってきたので、最近は時々通知が来てるか確認するぐらいしか使わなくなった。


何か嫌なことがあった時でも相手にちゃんと意見を具申して、Win-Winの関係を作るというのは、これは「アサーティブ・コミュニケーション」の範疇の事柄なんだと思う。アサーティブ・コミュニケーションについては以前も書いたので、知りたい人はこちらを読んでください。


www.ituki-yu2.net


僕が今回テーマとして考えてるのは「私憤と義憤」の違いのような内容であると思う。相手に対して怒るべき内容が、自分一人が損害被るだけの内容であれば別に無視でも対応は間違ってないんだけど、自分が所属してるコミュニティの中で倫理観に欠けた人がいるとか、組織の中でパワハラを見かけた時にどんな感情の使い方をするか? とかそういうことを考えているのである。


例えば、世の中で悪徳政治家が自分の私利私欲のために汚職事件などを起こした時にどのような対応をするか? これはまぁ、人それぞれの対応ではあるけど、「政治の話はなんかダサい」とか「周りの人は何も言わないから自分も黙ってよう」みたいな心の使い方は同調圧力が強い日本ではよくある心理だ。


しっかしま、世の中を見ていると私憤と義憤を取り違えていて、そういう社会の問題に対する義憤を、周りの仲間からよく見られるための自己顕示欲を満たすためのポーズとして使ってるやつとか、怒りのポーズををとると周りの人が配慮してくれると学習して、何でもかんでも癇癪玉を炸裂させるわがままな人というのも多い。


そういう人たちを多数ネットでもリアルでも観測して、僕は怒ることがバカらしくなってしまった。しかし「私憤と義憤」を混同するのはいかんだろう。冷静な感情で持ってその出来事を観察して、それが周りの人や社会のためになることであると分かってる場合には、その時に理性的に怒りの感情を発動させないとならない時もある。


そういう適切に冷静な怒り方ができる人は「大人だなー」と思うんだけど、そういう態度というのはちゃんと学ばねばならぬよな。

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