超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

承認欲求もバランスよな。

承認欲求もバランスよな。


今日もブログを書いていく。


まず結論から言うと、結局のところ大事なのはバランスなんだと思う。インプットの質も、承認欲求との付き合い方も、どっちかに寄り切ると途端に歪んでくる。その感覚を、昨日のジムと読書の時間で改めて思い知らされた。


昨日の夜はジムに行って、エアロバイクを50分。最近読んでいる朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』を読みながら淡々と漕いでいた。月曜日はだいたいこんな感じで、有酸素運動しながら読書するのが習慣になってきている。有酸素運動しながら読書するようになってるけど、わりかしストレス解消に貢献していて優良習慣なのよね。


ただ最近、自分の摂取しているコンテンツの偏りがちょっと気になっている。読んでるのが朝井リョウで、見てるアニメがZガンダム。どっちもまあまあ、精神を削ってくるタイプの作品だ。正直、コンディションが万全じゃないときにわざわざ浴びるものではない気もする。


それでもなぜか、そういうものばかり選んでしまう。何も考えずに笑えるもの、ただ楽しいだけのコンテンツもあるのに、どうしても内面をえぐってくるような作品に手が伸びる。このあたりはもう性質なんだろうなと思う。今さら変えようとしても、たぶん無理に近い。


とはいえ、ふと「お笑いでも見てみるか」と思ったりもした。最近テレビをほとんど見ていないから、今のお笑いがどうなっているのか全然わからないんだけど、コンプライアンスに配慮した“誰も傷つけない笑い”みたいなものも、それはそれで面白かったりする。少なくとも、今の自分にはああいう軽さも必要なんじゃないかという気がしている。


そんなことを考えつつ読んでいた『イン・ザ・メガチャーチ』で、もう一つ引っかかったのが承認欲求の話だ。推し活とマーケティングを軸にした物語なんだけど、結局そこにあるのは「誰かに認められたい」という極めてシンプルで厄介な感情だったりする。


SNSを見ていても思うけど、あれはもう承認欲求ゲームみたいなものだよなと思う。誰もが何かしらを発信して、少しでも誰かに届いてほしいと願っている。僕だってこうしてブログを書いているわけで、完全に無関係ではいられない。


ただ、そのエネルギーに飲み込まれてしまうと一気に苦しくなる。承認欲求に振り回されて歪んでいくのは、さすがに割に合わない。でも一方で、まったくそれを捨ててしまうとどうなるかというと、それはそれで停滞する。


実際、2年前からTwitter改めXとかSNSは完璧に断つようにしている。最近はブログで全部1日のことは書き、そのリンクだけをXでは投げている。でもその結果、どうなるかというと、ブログも全部ローテンション。同じような構造、同じようなテンションで、なんとなく書けてしまう。


それは楽なんだけど、確実に成長は止まる。自己完結している人間にありがちなやつで、クオリティは上がらないのに、妙なプライドだけは残る。これ、結構まずい状態だなと思う。


結局のところ、承認欲求って完全に否定するものでもないんだよな。誰かに認められたいという気持ちは、技術を磨く動機にもなるし、作品を良くしようとするエネルギーにもなる。問題なのは、それに支配されることと、逆に完全に切り離してしまうこと、そのどちらも極端だということだ。


だから今の自分に必要なのは、多くの人にバズって褒められることではなくて、せいぜい一人か二人、「この人に見てもらいたいな」と思える相手を意識することなんだと思う。その人に「いいね」と言ってもらえたら素直に嬉しい、くらいの距離感。


それくらいの承認欲求なら、たぶん健全に使える。


そして同時に、インプットも偏らせすぎないことだ。精神を削る作品ばかりじゃなくて、もう少し軽いものや、今まで触れてこなかったジャンルにも目を向けてみる。外の空気を入れることで、自分の中の淀みも少しは動くはずだ。


閉じることもできるし、開くこともできる。その両方を行き来できる状態を保つこと。


結局、それが一番難しくて、一番大事なんだと思う。