「心の中で使ってる言葉」がネガティブだとあんまいいことがない。
今日は歯医者に行って銀歯が取れたところを修理。その後、ドラレコを付けるために車屋を訪れて、待ち時間にニュースレターを書いていた。
ニュースレターを発行した。最近はこちらもなかなか生活に馴染んだよなと思う。ブログでは書けないような話であるとか、時事関係の僕の分析記事なんかを書いて、月に2~3通ほど送らせてもらっている。
ニュースレターも書いていてなかなか楽しいんだよね。ブログとは違った表現を試せるし、やっぱり時事関係の話も書いて置ける場所が欲しいなとは常々思っていた。ちょっとブログでは書くのに躊躇する話とか、ブログの補足説明なんかをしてたりするので、このブログが面白いと思う人は登録してみるといいよ。上記のページに無料で登録する方法を書いてある。
僕は気をつけないとブログでもなんでもかんでも書きすぎるんだよな。基本的に僕は文章を書くのが娯楽というタイプの人間であるのだけど、書いて良い話と書いてはいけない話というのがあり、それを間違うとたまに炎上させたりしてきた。
ブログとかSNSで書いて良い話の判断というのは、なかなか難しいよな。僕もネットでいろんな種類のブロガーの記事なんかをみてきたけど、「こんなこと外に出さない方がいいのなー」みたいなエントリーもたまに見かける。
あんまり内に篭りすぎた内面の話というのはやめておいた方がいいんだよね。僕がいうのもなんだけど。他罰にせよ自罰にせよ、攻撃性が高い文章というのは読んでいて不快に感じる。攻撃されてるのが自分でなくとも、どうにも誰かを刺すような文章というのはドキドキしてしまってメンタルに良くないと感じる。
僕は「心の中で使ってる言葉」について語ろうと思ってるんだけど、普段から攻撃的な言葉ばかりを使ってる人は、自分が何か失敗した時も同じ言葉で自分を傷つけている。因果応報とか自縄自縛という四文字熟語で示される現象だと思うんだけど、攻撃的な言葉というのは自分も他人も傷つける。
僕は以前からそういうことに気がついて、心の中で使う言葉を改めようと思って色々と工夫をしたりしてる。このブログの過去のエントリーなんかを知ってる人ならわかるかも知れないけど、元々僕の性格というのは冷笑的であったりとか露悪的だったのだけど、そういう捻くれた言葉を改めようと思って色々とブログでも練習してきたのである。
まぁ、昔よりはそういう露悪主義とか冷笑についてはある程度改めることができたのではないかなと思う。ネットを見てると頑張って他人を貶めて、相対的に自分のポジションを上げようと頑張ってる人がいるが、あの行動は返って自尊心を貶めるばかりであり、最悪のパターンでは自分の認知を歪めてしまってちゃんと物事を客観視できなくなる。
いろんな人たちに会ったりとか話してみても思うんだけど、成功してる人たちはみんな素直で性格がいい人が多いんだよね。少なくともちゃんと自分で頑張っていて実力がある人というのは、他人に対しても受け入れようという度量が大きいもんだ。偏屈だったり卑屈な人というのは大成しない。
やっぱりこういうのは自分の心の中で使ってる言葉が関係してるんじゃないかと思うんだよね。心の中でネガティブな呟きを繰り返している人はあまり行動しない傾向がある。
何か新しい挑戦や取り組みをしようとした時に、「こんなことをやってどうなるのか?」とか「こんなことは誰でもできることだ」という心の呟きを繰り返してるようだとモチベーションが湧かない。漫画やフィクションの世界ではニヒルなことを言いつつもなんでもできるような登場人物が出てきたりするけど、あれはフィションの中だから存在できるものである。
実際のところはネガティブで捻くれたことを言い続けてると、自分自身でも行動することが馬鹿らしくなり、何も行動もしないので成功もしない。なので、自分の行動での成功体験が減るので自尊心が落ちる。ますます世の中がつまらなく見えてネガティブになるという負のスパイラルだ。
別に僕はポジティブなのが良くてネガティブなのが悪いと言おうとしてるのではない。ただまぁ、単純にそういうネガティブな発言をするのは僕はやらないようにしてるというだけだ。単純に心のエネルギーを消耗して損するだけの行動であるし、論理的に考えても自分も他人も得しないからやらないようにしてるのである。単純にこれは損得勘定で考えてるだけだ。
僕はこういうのはプラグマティズムに考えて、ネガティブな心の呟きとか外に向けての発言は、自分が損をするから改めようと思った。なので、書いてる文章などでもあんまり役にも立たない愚痴は書かないようにしようとしてるのである。
そうしたら、随分と自分の心の方も落ち着いて傷つきにくくなったと思うし、やっぱある程度は効果があるんだと思う。再現性があるものかは分からないけど、僕は行動にネガティブな発想が浮かんだ時は「お役に立てればよし」と言い換えるようにした。自分の感じてる感情はどうであれ、それが客観的だったり倫理的な側面で見て誰かの役に立てばいいと思ったのだ。
やっぱり心の中で使ってる言葉遣いというのは、自分の内観の底流を流れてる通奏低音のようなものであるし、そこんところを改めることが人生を変えることなのかもしれないな。自分を変えようと思うのなら、きっかけとしてはそういうところからだろう。