超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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タモリの生き方・考え方から学ぶことは多い。

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タモリの生き方・考え方から学ぶことは多い。


昨日、夜に筋トレをやったら太ももがすっごい筋肉痛になってそれでなんとなく目が覚めてしまった。最近まったく筋トレの方はやってなかったんでその影響だろうな。ここまで効くとは思わなかったからびっくりだよ。


さて、今日はこの記事をネタにしてひと記事書かせて頂こうかな。


news.yahoo.co.jp


タモリがいいともを32年も続けるためにどんな心持ちで仕事をしたり人生を生きていたのかという風なことをまとめた記事だった。タモリは何かまずい出来事があったとしても引きずらない。人のミスも自分のミスもまったく反省しない。自分の中だけでやる反省が無駄なものだと分かっているからである。


また、タモリ座右の銘は「適当」だ。

 タモリ座右の銘が「適当」であることは有名だ。

 他にも「現状維持」「俺は努力ということをしない」などをあげることもある。共通点は「頑張って向上する」ということを拒否した言葉であるということだ。

 「向上心なんてなかったですからねぇ。今もないし」とタモリは言う[10]。「なんかいつも、みんな何年後かに私はこうなりたいとかいうでしょ。目標を持って努力して頑張ることが、いいことのようにいうけど、いつも違和感があったんだよね」[5]「目標なんて、もっちゃいけません」とタモリは言う。

 その理由はこうだ。「目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。(略)人間、行き当たりバッタリがいちばんですよ」[11]


このいきあたりばったりさは逆にすごいな―と思った。成果を出してきた人の言葉ではあるが、これは単なる生存バイアスでないか?と思うけども、それでもどうしても抗いがたい魅力もある。


ちなみに自分の座右の銘は「克己心」である。タモリとは全く逆の考え方をする人間であるのだ。だけど、目標を立てることはあんまりしないかな?と思う。昨日より今日を、今日より明日をなるべくよりよりものにしていければ良いなと思っており、現状の自分を改善していければ良いと考えている。


どうなんだろうね。こういう成功者の言葉というのは再現性を考えながら自分の人生に取り入れたりするものだろう。なんでもかんでも抱え込み、ひたすら細かなことでも反省しまくりの僕にとってはタモリのこの考え方は、自分に欠けている部分を埋めるピースでないかとも思うのである。


僕は悩みがあればひたすら引きずる。ずっと一日中そのことについて考えて、どうすればよかったとかこれからどうしようという事をひたすら頭の中でシミュレーションし続けるのである。これは理想の自分みたいな目標があるからこそ苦しみを生み出す原因になっているのであろう。


逆説的ではあるが、目標を持たずに自然体でやるべきことをやっているからこそ出せる成果というのもあるのだろう。タモリがいいともを32年間も続けてこれたのは、そのようにして自然体のままで水のようにすべてを受け流し、自然体でなすべきことをなすことが出来たから達成できたことなのであろう。これは老子の思想にもつながるのかもしれない。上善如水で、人よりうまく立ち回ろうなどと企まずになすがままで自分のやれることを成し遂げていくような生き方ということなのだろう。


自分の人生でこの考え方を受け入れるのならば、何か人生の生き方を決めるときはあまりにも細かく目標を立てるのではなくて、なんとなくそういう方向性で生きていればよいみたいな人生の方向性さえ決まっていたらよいという風にマインドセットを変えてしまうことだろうか? 僕は兎角、べきねばに囚われすぎている人生であり、なにかをしなければならないとか目標を達成しないといけないという強迫観念に囚われて生きてきた人間であった。目標に囚われすぎるのではなくて、向かう方向性さえ決まっていたらよいとして自然体を重視する生き方というのも良いのかもしれない。


僕の生き方はいろんなしがらみとかマインドブロックに縛られている人生ですからね―。それでなすことができる成果もあるかと思うが、自分自身で随分と息苦しい生き方をしているもんだな―と感じる事もあるよ。今回のこのタモリの記事では、いきあたりばったりで生きている人間でもやるべきことをきちんとやってれば成果を上げることができるということが分かった。この考え方も僕の人生に取り入れて、もっと自然体で気楽に生きていきたいものだなと思った。

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