
自分の道を一歩ずつ確実に歩む。
昨日は敬老の日で休みだったんだけど、結局だらだらと過ごしてしまって、今日は会社に行って仕事をしてこようかなっていう気分になってる。ただ、ここ最近どうも睡眠が浅くてね。夜中に何度も目が覚めてしまうし、朝起きても体がすっきりしない。大五郎さん――うちの猫――の調子が良くないのも心配で、それが自分の気持ちに引っかかってる。彼は普段は気まぐれだけど、最近は膝の上に乗ってきたりせずに、ずっと不機嫌そうに横になっていることが多い。まだ頭を書いてる時の痒みが残っているのかもしれない。チュールで薬を誤魔化していた時期もあったけど、おやつに混ぜるのももう見抜かれてしまったし、獣医に相談して注射で一気に治してもらった方がいいのかなと考えている。
自分の生活はといえば、母親の入院で気を張って消耗しながらも、小説を書きたい気持ちがまた湧いてきて、少しずつ手を動かしている。生き方としては「潰れない程度に歩く」ぐらいの感覚で、特別な成功を目指しているわけでもない。けれど、このところ成功とか効率の良い生き方とか、いわゆる成功論みたいなものについて考えることが増えた。YouTubeを見ていると「人より上回って蹴落として、トップに立つことが成功だ」なんて声が聞こえてくる。でも正直に思ったのは「くだらんな」という一言だ。
僕の人生を振り返ると、人を蹴落としてまで上を目指すような生き方を選んでいたら、途中で野垂れ死んで終わっていただろう。現実はそう甘くない。むしろ僕がここまで生き延びてこれたのは、土壇場で失敗してめちゃくちゃになり、泥まみれになりながらも、諦め悪くしがみついて、どん底を這いずりながらズルズルと歩いてきたからだ。だからこそ思う。人生で大切なのは「諦めの悪さ」なんだと。
人と比較して「自分の方が上だ」と思い込む生き方では、どこかで必ず限界が来る。若い頃からそれに気づけたのは幸運だった。成功哲学や引き寄せの法則を信じても、一時的に気分は高揚するかもしれない。でも、そんなものは持続しないし、現実の苦しみに直面したときには役に立たない。今の自己啓発本やビジネス系YouTuberの言葉を聞くと、泥臭い努力を軽んじているようで苛立つこともあるけれど、そういうのは実際に生きてみないと分からないんだろう。だから彼らに腹を立てても仕方がない。
僕自身、人を導こうとか、考え方を改めさせたいとは思わない。ただ、自分の生き様をこうして言葉にしておけば、読む人が「こういう生き方もあるのか」と気づいてくれるかもしれない。それで十分だ。もはや「人の上に立つ」とか「大成功を収める」といったことに興味はない。もちろんお金は欲しいけれど、それ以上に大事なのは、自分が納得できる生き方を選ぶことだ。他人に振り回されて、自分の考えを捨ててまで走るのはつまらない。自分のテンポで一歩ずつ歩んでいく方が、ずっと面白いし楽しい。
人は大きな報酬や夢に引っ張られて一時的に力を出すことがある。でも無理をして出した力は長続きしない。無理せず、自分なりの納得を信じて進む方が、結果として遠くまで行ける。人生はマラソンのようなもので、全力疾走すればすぐに息切れしてしまう。だからこそ、自分の納得を軸にして、目の前の出来事をどう位置づけるかを考えながら進んでいくのが大事なんだ。
もちろんこれは今の僕が立てている一つの仮説に過ぎない。万人に当てはまるわけではないし、別のやり方で歩んでいる人もいるだろう。でも僕はこう思って、こう生きている。それだけの話だ。違う考え方の人を見れば、世界は広いと実感できるし、そのたびに自分の生き方への納得度も増していく。出会ったこと、経験したことを全部腹に落として、自分の納得を大事にしながら生きていく。そういう生き方こそが、僕にとって大切なんだ。