超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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人間は何のために学ぶのか?

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人間は何のために学ぶのか?


今日は平日休みなのでスタバで読書とブログ書きをやっている。最近、読書猿さんの「独学大全」を購入したのでそれを読むようにしている。この本は750ページもあるような大著であるので、読み終えるには時間が掛かる。というか、全部頭から最後まで読み込む事を想定して書かれている本ではないのだろう。章できっちりと語るべき内容が分類されているので、目次や索引から必要としている知識を検索して読むための辞書みたいな使い方をすることが正しいと思われる。僕は読書猿さんについては、効率的な人生の生き方などをブログで知ったりなどして、知識の確かさを信用しているので、しばらくはこのブログでも「独学大全」を読んだ内容についてメモ書きをエントリーとして投稿するのが増えるかもしれない。ひとまず、頭からちゃんと読んで、気になった所はScrapboxに書き写しておいて、自分専用の勉強方法のデータベースを作ろうかと企んでいるところなのだ。


別に僕は研究者みたいな生き方をしようとはあんまり思わないのだけど、生き方としての独学者というのは深く憧れる所が強い。僕自身も、知的生産の技術を色々と研究してkindle本でも書いてみようかと思っているけど、それは人生を生きるならば深い生き方をしてみたいと考えるからである。独学大全の序章の部分で二重過程説という理論が説明されていた。


二重過程説というのは次のような理論だ。

二重過程説(Double Process Theory)は、ヒトの認知や行動は大きく分けて二つのシステム(プロセス)から形成されるという理論である。
システム1は、無意識的で自動的、迅速で直感的に働く。これに対してシステム2は、意識的に制御され、処理が遅く、熟慮的に働く。
システム1は、昔気質の職人たちにたとえられる。
「職人たち」と複数形で言ったのは、このシステムが複数の専門機関であるモジュールの集合体であると考えられているからである。
システム1の特徴である、長い進化の過程で鍛えられた熟練は、それぞれに得意な仕事については実に優秀で、なおかつ時間も認知資源もほとんど費やさない。
しかしシステム1が適応した環境は、人類が進化的時間を過ごしたサバンナの平原でせいぜい百数十人規模の集団で暮らしていた時のものである。これは現在我々が生きる世界とは違っている。
今も多くの場面で、システム1は意識する必要さえなく正しい判断を下す。しかし、かつてと大きく異なる環境下ではうまく作動しないことがあっても不思議ではない。今日ではシステム1が持つ脆弱性は広く知られており、これを敢えて突くトリックに対しては無防備である。
一方、システム2は、のろまで理屈っぽい新人にたとえられる。この新人は、職人たちが苦手な「もし~だったら」と仮定を入れた思考もできるし、新しい課題にも対応できる。しかし、その仕事は遅く、必要な認知資源も膨大である。他の課題や認知資源やエネルギー(グルコース)が取られているとうまく働かない。

「独学大全」 読書猿著 位置No136-157


この二重過程説は、ほぼ日手帳の名言の中で見かけたこの言葉とも類似している。

直観というものは人間の無意識がいろんな要素をしっかりと考えた結果なわけだから、意外と信頼できるものなんですよ。ただ、直観がすべて正しいというわけでもなくて、経験から学んだつもりが、変な学び方をしていることも多々あります。
「直観」と「分析」の片方だけを信用するのではなくて、両方をある程度組み合わせるべきだと思います。

長瀬勝彦さんが「勉強の夏、ゲームの夏。2018」の中で


独学大全では、ヒトがなぜ学ばなければならないのか?という理由について、この二重過程説で説明している。

我々がシステム1が進化してきたのと変わらぬ環境で生きているなら、つまり生得的な認知機能だけを頼りに生きていけるならば、新たに学ぶ必要はなかっただろう。
しかしヒトは生得的な認知機能だけでは解決できない問題を解き、そのために知識という認知的ニッチを構築し、自らが生きる環境を改変してきた。知識を学び、次代に伝えることを続けてきた。こうしたヒトと知識の共生=共進化は、ますますヒトが生きる世界を変えていき、我々が生きる世界をかつてヒトが進化した環境からますます遠ざけることになった。
我々は、直感と感情が優先する脳を持っていながら、生得的な認知機能だけでは適応しがたい世界に、言い換えれば理性と知識なしには社会と文明を維持できない世界に生きている。

「独学大全」 読書猿著  位置NO245


ヒトはサバンナで生きている時は直感的な認知機能のシステム1だけで良かったのであるが、多くの人数と共に生きて社会を構築するようになると、理性と知識でもって社会と文明を構築するためにシステム2を使わざるを得なくなった。こういう事を「認知的ニッチ構築」という。システム1のような直感的な方法は言語を使って他人に伝えることができないけど、システム2の言語的、論理的な方法ならば、時間や場所を超えて人類の進歩のために研究して文化を積み上げていく事が可能になったのである。


確か、こうやって人類の進歩のために過去の歴史から文化を引き継いで研究していく事は、上野千鶴子の「情報生産者になる」という本でも語られていた気がする。こちらの本も中途半端にしか読んでないので、ちゃんと最後まで読了させないとならないだろうな。今、僕は独学大全についてはScrapboxに自分用の索引を作りながら、知識を使えるようにしながら読んでいる。Scrapboxならば他の本とのつながりも作ることができるので、自分用の使えるデータベースの構築のために読みながら考えた事はメモしておこう。


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