超メモ帳(Web式)@復活

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人間が働く理由とはなにか?

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人間が働く理由とはなにか?

汎用的な働く理由とはなにか?


最近、嫁さんがパートを始めたのだけど、働くのがすごく辛そうなのよね。なんか、2回連続で良くないブラックな職場を引き当てたみたいで、毎日ゼイゼイしながら働きに出ている。僕が専業主婦をやらせてあげられるだけの稼ぎがあれば良いのだけど、そこまで稼ぎの良い仕事をしている訳でもないので嫁さんにも頑張ってもらうしかないだろう。


それでまぁ、働く理由とかそういう事をブログで書けないか?と思ったのでいろいろと考えてみたんだけど、汎用的な答えで働く理由なんて特に無いことに気がついた。なぜ人は働かないといけないのか?という事で考えた時に、目的としては金のためとか社会貢献のためとか色々とあるけど、どれも個人的な理由であり、すべての人に当てはまる理由はない。


僕は、最近の社会の潮流として、働かない方が正しいみたいな考え方があるけど、それはあんまり好きじゃない。よくあるじゃない。ネットでバリバリ稼いでセミリタイアなりFIREなりして労働をやめて家でごろごろしながら生きるのが素晴らしい生き方みたいな。僕自身は、仕事をするのは辛いこともあるけど楽しいから、死ぬまで何かしらの仕事をしながら働き続けたいと思ってるのよ。自分は働くことは人生の修行みたいな物だと思っており、人生を極めてみたいから働くことは正しいと思ってる。


だけどこれは僕が個人的に思っている事であり、万人に当てはまるような働く理由とする事はできない。それ以前に全然、他人が読んで共感できるような事でもないだろうし、もうちょっと他の人の考え方を引用してきてもうちょっと説得力のある文章を書いてみるとしよう。

働かないでゴロゴロと家で過ごすのは一定範囲を超えると苦痛である。


自分の働く理由というのは以前のエントリーでも考察した事があり、それはこちらに書いてある。

仕事する理由というのは生活のための賃金だけという訳でも無いんですよ。障がいを患って全く働けなくなった時期、本当に社会から隔絶された感じがして人生に対する絶望感に囚われてた時期があったんです。精神科デイケアなどに通ってた時期があるんですけど、あそこにいる人達は社会で揉まれてないので年不相応に精神的に幼くて、話していても自分の狭い世界のことしか話題がないからつまらない。まぁ、社会復帰に向けてちゃんと病気を直していこうって人もいるかもしれないですけど、人生諦めた人は多いです。

働く理由なんぞを考察している。 - 超メモ帳(Web式)@復活


4年ぐらい統合失調症のために働けなくなってた時期があったのだけど、最初の一ヶ月ぐらいは働かなくてもよいから楽ちんだったんだけど、1ヶ月で飽きた。それよりも社会から取り残されて、自分が恐ろしく無能で生きてる価値が無いように思ってしまって生きている意味がないように感じる想像を絶するうつ状態で苦しんでいた。1年ぐらいは働かずに食える程度の貯金はあったけど、その貯金がどんどん生活費で目減りしていくのを目の当たりにして、生きていくだけでも苦痛だった。


なんというか、人間というのはどこか社会的な組織に属していないと生きている実感を感じることができない社会的な生き物なのだなというのは、こちらの記事を読んでみて感じた。


kinaco68.hatenablog.com

 私は、父が会社を辞めて以来、日に日に幼稚になっていくのが本当に辛かった。家族の誰一人として、父が無職になったことを責めたりしなかった。とりわけ配偶者である母は、父の愚痴を常に傾聴したし、再就職の斡旋をしたこともある。家族はどんな時も父を支え続けた。しかし、それらの努力は父の心に届くことはなかった。家族がどんなに理想的な対応をしようとも、父を救えるのは所属する会社であり、他者との人間関係であったからである。


 いかに家族関係が円満であったとしても、他者との人間関係が無ければ人間は病む。パワハラなどのブラック職場は論外として、「適度に他人と関われて、お金がもらえる」仕事というものは、実のところ有難いものだということになる。このご時世、仕事に行かなければ家賃すら払えず、下げたくもない頭を下げて仕事をしている人も多いであろう。食っていく心配は無いけど仕事はしたい。何とも贅沢な話である。しかし、たとえ年金で食い扶持は施されても、周囲に他人がいなければ、ひとは簡単に病んでしまうのだ。

仕事は薬? 斎藤環「『社会的うつ病』の治し方」を読む - 何たる迷惑であることか!


「いかに家族関係が円満であったとしても、他者との人間関係が無ければ人間は病む。」これは本当にそうで、なんにも刺激を感じないような環境に置かれると、人間の自尊心はどんどんスポイルされていってどんどん卑屈になっていく。精神障害などで働けないとしても作業所や精神科デイケアなどに通わないといけない理由はこれで、人間は何もせずに一日中家でだらだらと遊んでいるような生活をできるような精神構造に出来てない。自分が一度そういう風な生活をやってみて思うけど、自分がニートや社会落伍者の気持ちがしてきて生活が捨て鉢になってくる。


この頃は無職なのにタバコを一日2箱も吸っていた。働き始めようという時に禁煙をしたのだけど、無職の時期はベランダに座り込んでタバコを吸いながらぼんやりとするしか一日の時間をつぶす方法がなかったのだ。精神科デイケアには似たような事をしている人が何人もいる。一日中喫煙所で安タバコをふかしながらぼんやりと座り込んでいる人達だ。タバコは何も趣味もない人が時間をつぶすには丁度いい。

まとめ


おそらく自分は、宝くじで10億ぐらい当たったとしても働き続けていると思う。流石にそれぐらいの額の貯金があるのなら、人に雇われて働くことは辞めるだろうけど、自分の働くための会社を設立して、そこで自分が満足できる程度の時間だけ働きに出るだろうと思うのである。


人間というのは社会的な生き物で、社会に所属する事をやめて生きていける様な精神構造には生まれついてないのである。僕は定年退職をした後でも、シルバーセンターなりで働き続けた方が幸せな生き方じゃないかと思ってる。


別に働くのは金のためじゃなくて社会に所属する必要性から生じるというのもある。人間が生きていくためにはどこかのコミュニティに参加しているのは重要な事なのだ。仕事をするのは、ブラックでもなければお手軽に所属感を満たすことができるので、人間が生きていくには必須のことですね。

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