
AIに関しても「道具は使っても使われるな」だよな。
さて、土曜日であるな。今日は夜から仏教系のヴェビナーに参加する以外は予定がなく、わりかし静かで優雅な午後の時間を過ごしてる感じである。
流れているのはYoutubeのジャズチャンネル。でもって手元には紅茶入りのタンブラーという感じであり、リラックスした時間を過ごしてる。最近は高血圧やら頭痛やらで体調を崩すこともあったけど、こんな感じでリラックスできる時間を過ごすことは大事だよなーと思うところだ。
さて、今日は何を書くか? 最近は僕はこのブログもObsidianのエディターで書いてるけど、Obsidianを使った知的生産遊びに全力全開という感じであるよな。
今まで僕はScrapboxを使って色々とライフログを取ったりとか、メモを整理してたりしてたけど、Obsidianが人気があるということでちょっと試してみた。なんで人気なのかわかったのだが、ローカルにmarkdownのメモを置いて管理するという仕組みは、AIを使って自作ツールを作りやすいのだ。
僕はObsidianの管理庫はGithubに置いて管理してるけど、そうするとGithub actionsで色々とバッチ処理での自動処理がやりやすい。僕は元々CI/CDをやったりするQAエンジニアもやってるので、この辺りの作業のパイプライン作りはお手のものである。
すでに色々と開発したのだけど、下記の感じ。
- 夜中の0時には自動的にTODOや振り返りのリンクが入ったデイリーメモを作成
- 昨日のデイリーメモとブログ下書きを0時に指定の箇所に整理する処理
- 昨日のデイリーメモのサマリーをChatGPTのAPIで読み取って、振り返りと反省点と明日やることのメールを0時に送信
- 昨日のデイリーメモからAIで生成した振り返りのラジオ音声を読み上げるようにiPhoneのショートカットで指定しておき、朝6時に届くプッシュ通知をタップすると、昨日の一日振り返りラジオが流れる
- 週末土曜日の9時にはその日一週間の週報をAIが自動生成してファイル作成 + メールで報告
すっごい楽しい。こりゃー、プログラマ人種がObsidianにハマるわけだわ。Obsidian自体は単なるメモ管理ツールなので、そのmarkdownファイルを裏でAIで操作できるから、遊び方は無限大である。
しかしまー、この手の知的生産ツールを使って思うのだが、ツールはすごくても道具に使われてると全く意味がないよなーと思うことである。
これは昨今のAIブームについても思うのだが、主体的にAIを使うのではなく、AI驚き屋などに煽られてAIすごい使わないと時代遅れと騒いでるだけのやつとか、AIが言ってることを全部鵜呑みにしてAIに使われてるやつなどをみてると特に感じる。
僕が座右の銘にしてる言葉は色々とあるのだが、「道具は使っても使われるな」である。その道具をなんのために使うのかを忘れて、技術に使われてるだけのやつはなんの生産性も上がらんし、イノベーションも起こせない。
僕はITエンジニア人種だから、これは習い性になってるんだけど、「そのツールを使って何ができるのか? 既存のやり方に比べてメリット・デメリットは?」とクリティカルシンキングで考えることは必ずやる。AIだろうがなんだろうが、既存のツールの方が効率がいい場合はそっちを使うし、新しいツールを導入するコストも計算して、損益分岐点に満たない場合は使わない。
でも、新しいツールはひとまずは試しに自分で使ってみて、それを現場で利用してみてどのような感じなのかという試行錯誤はいるなーという感じ。Obsidianにしてもそうだったのだけど、既存ツールで十分だろと思っていると、実際に使ってみると全然すごいことはよくある。まぁ、逆もよくあるんだけどさ。
「馬は乗ってみよ、人はそうてみよ」かな。新しいテクノロジーについては、実際に使ってみる実験精神ってほんと重要だなーと思う。僕は下手に保守主義なところがあるので、新しいテクノロジーにはどっちかというと乗り遅れがちだ。エンジニアとして、これでは取り残される可能性も高いので、ちゃんと勉強して新しい技術も取り入れないとなと思うところである。