超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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雑に文章の書き方で思いつくことを書く。

雑に文章の書き方で思いつくことを書く。


今日は病院受診で休みだった。しかし、明日はひょっとすると台風14号が直撃である。休みであるのなら朝から休みにしてほしいのだが、中途半端に大嵐の中を出勤させられるという感じの嫌な予感もする。


今日は病院に行ったのちはひたすらカフェにこもって小説を書き続けていた。しばらくは僕は休日はずっとこんな感じの生活になると思われ、小説を完成させるまでは巻きの生活をしてるだろう。


かといって、ブログで小説執筆のことばかり書きまくるのもどんなもんかと思う。ほんと、今日はそれ以外やってないもんだから特に書くべきこともない感じなんだよね。ネタがない時もブログを書かないといけないのがブログ書きの生き様とはいえど、本当にネタがない時に「ネタがないネタがない」と連呼するのも考えものであろう。


しばらくはそれっぽく、書くことに関するネタを書けばいいのかもしれないな。プロの小説家でも創作論について書くのは大好きである。谷崎潤一郎の「文章読本」から始まって、超一流からそれ以外の作家もみんな書くことについて書いている。やっぱり文章を書く人というのは、それなりに皆、書き方にも一家言持ってるものであり、100人作家が居たとしたら100通りの文章の書き方があるのである。


僕自身の文章の書き方はどんなものかと問われると、「ノリと勢い」みたいないい加減な話しか出てこない気がする。や、ほんといい加減な話で恐縮ではあるのだが、僕は体で体得したやり方で文章を書いてるだけであり、それを改めて言語化しようとしたときに出てくる言葉としては「書けば書ける」なのである。


当たり前ではあるが、そんな言語化しかできない人が人に文章の書き方を教えることはできない。優れた教師というのは、自分の持ってるテクニックを言語化して相手にも再現性のある形で伝えることができる能力を持ってる人だと思う。僕の場合は「ビューンと行ってどかーん」みたいな感覚的な物言いしかできない感じであり、こんな雑な理解で日々の生活をしてる人が他人に何か物を教えることはできないだろう。


案外、自分が何かの小説を作ったりするときの手順というのははっきりしてるんだけどね。雑に全体の構造を設計して徐々に肉付けしていくというやり方は、いろんなツールややり方を試したりしてきたけど、最初からこのやり方の方針はブレてない気がする。


イラストを描いたりするときもそうなんだけど、素人ほど詳細から最初にみっちりと書き込もうとする。そうすると全体のバランスが崩れてしまって上手い絵にならないのである。文章でもそうであるけど、最初に下書きをやって全体の構造というのをはっきりさせて、それから細部を煮詰めていけばいいのである。


それと文章においてはこれははっきりしてると思うのだが、後から読み返してみてこれは必要かどうか悩むような場所というのはバッサリと削ればいい。贅肉ばかりの文章を書いてる僕がいうのもなんであるが、文章というのは短い文章を重ねた方がリズムが良いのである。適当なところで句読点で区切ったりとか、難しい漢字については適当に開いたりというのは、読者に対する優しさのような物だろう。


あとは文章については他の芸事と一緒で、一日サボれば1日分下手になるよね。日記を書いたりするのは文章修行においては基礎訓練のような物であり、小説執筆とか他に文章を書くような作業があったとしても、それはそれとしてベーシックな訓練というのは毎日やらないと錆びつく。ピアノのプロが、特に必要がない時でも教本でひたすら手を動かして練習するような物である。


僕は文章の基礎訓練としては、このブログでやってるようにブログを毎日書いてるけど、毎日一定量の文章を、こじつけでも前提から結論まで結びつけるような書き方をやる練習をやってると、どれだけ無理筋な前提条件でもそれなりの結論に結びつける文章を書ける。僕がこれで思いつくのは、村上春樹氏が人生を語るのにカキフライを結びついて書くようなエッセイがあるけど、村上氏がこれを書いた時にカキフライに対して人生の必然性を感じてたのではなく、ちょうど思いついたのがカキフライだったからカキフライで人生を語ってみせたのである。


僕が日々のブログで書いてる文章についてやってるのもこれであり、その時のブログの前置きで適当に今日に日柄であるとか体調の調子について語っていき、その中で思いついたことを風呂敷を広げまくり、それを無理やり集約させて一つのお話にしてるだけなのである。物書きというのは誰でもそういう芸はみんな持ってる物であるし、話を広げるなり深めるなりして読者の琴線に触れる事柄を1つ二つ話に含めて、それを綺麗に結論にまとめるのはエッセイ書きのテクニックとしては基本的なことであるだろう。


こういう基本的なテクニックが身についてるのなら、あとは瑣末なもんであると思うけどね。こうやってひとまずまとまった文章を書けるようになってるのであれば、あとはひたすら思いつくままに目についたことについて書きまくれば良いだけである。それを他人に読ませてみてたまにフィードバックでも貰えれば、あとはきっちりと練習を繰り返していたら自分の満足できるような文章が書けるようになると思う。

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