
ブログを毎日書いても不安になるばかりなのだ。
沖縄は今日も雨。そんな中、僕はブログを書いている。
実のところ、今朝は健康診断だった。前の晩から食事を断ち、水すら飲まずに臨んだ健診後、空腹感がじわじわと押し寄せてきた。血糖値も下がって、頭がぼんやりする。診断が終わったらパンでも買ってきて、ゆっくり朝食にしようかと思っている。
40代にもなると、何がきっかけで身体のどこがやられるか分からない。いまのところ異常は見つかっていないが、それがいつまで続くのかは神のみぞ知るというやつだ。ガン保険なんかにも入ってはいるが、契約内容の見直しは後回しにしがちだ。保険料も気になるし、気がつけば損していたなんてこともありうる。面倒くさがらず、定期的に調べておくべきなのだろう。
最近のブログを読み返してみて、ちょっと自分でも気になった。なんだか、内にこもった文章ばかりになってきている。調子が悪かった週もあったし、その影響だろう。でも、今週に入って少しずつ調子が戻ってきた感じはある。
僕の場合、「仕事辞めたい」と言い出したら、それはもう体調が崩れているサインだ。過去の記事を読み返すと、その度に「またか」と思う。ただ、それをどう対処すればいいのかは、いまだに模索中だ。
こういう自分語りばかりの文章を、毎日ネットに公開し続けていていいのか──そんな自問が頭の中をよぎる。ブログというのは、突き詰めれば「自分語りを人に読ませて反応をもらう」営みだ。それが目的だとわかってはいるけれど、それだけに終始してしまうのも、どこかで引っかかる。
たまには、外から見て心地よい文章というのも書いてみたくなる。でも、いざ自分の過去の記事を読み返すと、思わず「なんでこんなに卑屈なんだろう」と思ってしまう。文章に染みついた自意識の匂いが、自分で読んでいても鼻について仕方がない。
これが、いわゆる黒歴史ってやつなのかもしれない。でも僕は、そういう過去を隠そうとは思わない。むしろ、そういった記録を通して自分という人間をどう活かすかを考えている。とはいえ、ネットという公の場に、こんな恥ずかしい文章を晒し続けていることには、未だにためらいがある。日記ならばまだしも、他人の目に触れる場所にこれを残しておいて良いのだろうか。たまに「おじさん赤面しちゃうよ」なんて思ったりもする。
「誇れる生き方を綴って公開する」──それ自体に承認欲求がからんでくると、急に居心地が悪くなる。自分の文章にどれだけ自意識を盛り込むのか。読者にとっての「役立ち」と自意識の配分はどうあるべきか。僕は「自意識7、役立ち3」が理想だとずっと言い続けているが、なかなか実現できていないのが現状だ。
毎日、ガリガリ書き続けている。でもふと、「これ全部、どうしようもないゴミだったらどうしよう」と不安に襲われることがある。その不安と戦いながら、後ろを振り返らず突き進んでいるけれど、立ち止まって振り返ってみると、自分の影がずっとそこにいるような気がして、ちょっと怖くなる。
そして、その不安の正体が何なのか、いまだに掴めない。
徒然草で兼好法師が語ったように、「日記を外に晒す」という行為は、ある意味では狂気なのかもしれない。思いついたどうでもいいことをネットに書き連ねて、共感を得ようとする──冷静に考えれば、かなり痛々しい行為だ。でも、ここまで続けてしまったからには、もうやめられない。
若さとは、振り向かないことだ。そう言った人がいた。今の僕にも、その言葉はどこかで響いている。