
書くことと他人のまなざしであるとかその辺りを考える。
沖縄の梅雨が明けた。今年の梅雨は驚くほど短かった。例年なら6月後半までは雨が続くはずなのに、今年は6月に入ってすぐ明けてしまった。これはもう完全に空梅雨だ。今年の夏、水不足にならないか心配になる。
北部の方では多少は降ったのかもしれないけど、正直よくわからない。とりあえず、今は水出しコーヒーを片手に出勤中。空を見上げながら、「沖縄が一年で一番美しい季節に入ったな」という気分に浸っている。
夏の沖縄はやっぱり特別だ。空も海も綺麗で、こんな時期に海辺のカフェで適当にコーヒーでも飲んだら、もうそれだけで最高。最近は仕事は相変わらずつまらないけど、休みの日は小説を書いたりして、それなりに充実している。
ここしばらくは、仕事のモチベーションを小説で補ってる感じ。自分でも珍しく安定して小説に向き合ってる。でも、正直なところ、自分が何に集中するのかは自分でもわかってない。小説を書いていたかと思えば、急にイラストに走ったり、プログラミングに戻ったりする。自分のやりたいことって何なのか、さっぱりわからない。もしかしたら、「表現」という広義のジャンルの中で、自分の世界観を外に出していくこと自体が楽しいのかもしれない。
ただ、ふと立ち止まって思うことがある。僕が作るものって、果たして本当に「人に見せるため」のものなんだろうか。基本的には自分が楽しければそれでいいという姿勢で、他者の視線なんてほとんど意識していない。最近は賞に応募したりもしてるけど、それだって本気で他人の評価を求めてるというよりは、なんとなくやってみてるだけ。究極的には、誰かに認められなくても、まあいいかなって思ってる。
でも、そんな風に考えていると、あまりにも閉じすぎてる気もする。他人と共有することに意味があるんじゃないかって思うこともある。自分が「これいいな」と思ったものを他人も「いいね」と言ってくれたら、やっぱり嬉しい。きっと創作の面白さって、自分の見てる世界を他人と共有して、同じ風景を一緒に眺めることなんだろう。
それにしても、僕はまだ他人の世界にそれほど興味を持てていないのかもしれない。どこかで、自分の中に美しい箱を作ることだけに関心がいっていて、それを他人にどう評価されるかには無関心だった。でも、それでは作品に価値を生み出すことも難しいし、ましてや利益を出すなんて到底無理だ。
利益が必要なのかどうか、自分でもはっきりとはわからない。ただ、他人の視線をまったく無視するのも、やっぱり何か違うような気がする。自分が満足できればそれでいいとも思うけど、それだけではどこか物足りない。自分の中でまだその辺が整理できていないんだ。
ブログもそうだ。こんなに長々と書いておきながら、「書けるから書いてるだけ」なんて少し人を舐めたような考えが浮かぶ。でも、なんでこれを外に出すんだろうって改めて考えると、やっぱりどこかで誰かと共有したいと思っているのかもしれない。
まだ答えは出ていない。だけど、たぶん僕はこうやって悩みながら、書きながら、ずっと考え続けるんだろうなって思う。完全に割り切れる人もいるのかもしれないけど、そういう人はきっと表現なんてしないんじゃないかとも思う。あるいは、僕が求めてる場所にはいないのかもしれない。
なんてことを、ちょっと哲学的に考えてみた朝だった。