
書くことによって一番自分が救われている。
ほいさ、土曜日のブログを書いていこう。今は夜の9時過ぎ、午前中は買い出し、午後はカウンセリングという流れで過ごした。なんというか、週末らしい一日だった。そんななかで大きなニュースといえば、甲子園で沖縄尚学が優勝したことだ。沖縄では甲子園の影響力が抜群に強くて、この時期はみんなその話ばかりしている。そんな土地柄だからこそ、優勝ともなれば地元企業のキャンペーンやスーパーの特売なんかが始まる。明日は買い物に行ったら、何かしら面白いものが見つかるかもしれない。
明日の予定は、まず車を洗車して、それからサウナに寄れたら寄りたい。小説も書きたいけれど、最近は睡眠不足ぎみなので、眠れるときはちゃんと眠って気力を回復させたい。無理すると次の週まで響いてしまうのは、これまでの経験でよく分かっている。だから、まずは体調を立て直しつつ、やれることをやっていこうと思う。
さて、最近の話題は小説かDiscordばかりだ。そろそろ違うことも書いたほうがいいのかなと考えつつも、実際に取り組んでいることが小説周りなので、結局そればかりになってしまう。ちょうど一作が仕上がりそうで、Discordのサーバーでみんなと投稿企画をやる流れになっている。そのための作品を準備しているところだ。
出そうと思っているのは、以前「やばい」と自己判定した『神の機械と語られし者たち』という作品だ。ポストポストモダン哲学と異世界転生を無理やり混ぜたような、前提知識がないと理解しづらい代物。正直、普通に読むには相当ハードルが高い。それでも出してしまえば話題にはなるだろうと腹をくくっている。少し書き直してわかりやすくする手もあるけれど、勢いのまま突っ込んでみるのも悪くない。どうせ僕にとっては「書く」という行為そのものが大事だからだ。
そう考えると、ここ最近は本当に書くことばかりやっている。小説にしてもブログにしても、僕は全力で突っ走るように書いている。そもそも、ここまで自分が「書くのが好き」だとは思っていなかった。でも実際、もうすぐブログ更新が連続3300日、つまり9年に達する。さすがに10周年のときはイラストを描くとか、ちょっとしたお祭りにしてもいいかもしれない。
とはいえ、夜になると気力が尽きかけて眠りたくなる。それでも机に向かって書いてしまうのは、やっぱり文章に惹かれているからだろう。話すよりも書くほうが性に合っている。文字にすれば落ち着いて考えを整理できるし、少し丁寧に世界を眺められる気がする。感想をもらえたらもちろん嬉しい。でも根っこにあるのは、自分自身のために書くということだ。結果として誰かを励ませたり、居場所を提供できたりするなら、それは副産物のようなもの。
実際、2006年にブログを始めてから20年近く続けてきて、過去ログを読み返すとそれがそのまま自分の人生の断面になっているのが分かる。病気のリハビリのために書き続けた時期もあったし、その積み重ねがいまの自分を支えてくれている。だから、いつまで書き続けられるかは分からないけれど、自分が納得している限り、この習慣は続いていくのだろう。
結局のところ、誰かのために書くというよりも、自分のために書く。それでも、その過程で人と出会ったり、思わぬ形で支え合えたりすることもある。昔から「情けは人のためならず」と言うけれど、まさにそれで、自分がやってきたことが巡り巡って自分を救っている。そう考えると、書くことは僕にとって最大の救いだ。
だから僕はこれからも書く。眠たい夜でも、サウナ帰りの休日でも、スーパーで沖縄優勝セールの戦利品を抱えて帰ってきた日でも。小説は難解でも、ブログは平熱で。無理せずに、でも逃げずに。結局のところ、僕が僕でいるために書き続けるのだ――それでいい。