超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

生きることの理由は頭で考えたぐらいでは分からんのよな。

生きることの理由は頭で考えたぐらいでは分からんのよな。


さて、今日は大五郎さんの看護のために会社はお休みであった。ずっと物置に閉じこもって午前中の間、餌を出しても出てこなかったし、これでなんかショック状態を起こしても困るなということから判断。まぁ、夜にはちょっと餌も食べたし僕の後ろのソファーでゴロゴロしてるのだが。


まぁ、その間、飼い主の僕の方がネガティブ思考のぐるぐるのせいで消耗。午後にはぐったりと寝込んだりもしたが回復する気配がなく、仕方ないんで体から気分を戻そうということで近所の集落を散歩してきて、湯船にお湯を溜めて半身浴などして気分を直した。


ちょっと夜は映画の「爆弾」なんぞを見ながら晩飯などを食べている。あの映画、映画好きの会社の同僚がすごいと言ってたけど、確かにすごい。怪物二人の頭脳戦という感じであり、それで心を語りでぶっ壊す心理操作に長けた犯人の言動がヤバく、面白いっすね。


とりあえずまぁブログを書いたら「爆弾」はあと30分ほど続きがあるので、今日中には観終わりたいところだなという感じ。今日は月曜日だからジムの日であるけど、今日は散歩をしたのでジムはお休み。いくら僕でもこれぐらいの臨機応変さというのはあるのである。


人によっては猫のために会社を休むのか? などと怒られもするかもしれないが、大五郎はうちの大事な家族なのである。わりかし最近僕は孤独な身の上ではあるが、大五郎さんの存在で救われてる部分も多い。いつでも自分の後ろをついてくる弟分なのであり、寝る時もいつもすぐそばでゴロンと転がってるやつである。


しかしまぁ、ペットを飼うというのは大変である。命の責任を持つというのは、猫であれどもすごい責任であり、特に犬や猫などの動物というのは喋れないのでどこが調子が悪いかも分からない。


ま、明日は流石に会社に出社だろう。GWは来週だけど、そこまで有給を乱発できるほどえらい身分でもない。まー、今日はほとんど一日中心配ばかりをして心的には消耗の仕方がやばい感じではあるが、だから夕方ごろから散歩や風呂に浸かって回復をさせてるのである。


心的エネルギーのダメージは、僕の場合わりかし長引くからね。何かアクシデントがあった場合には数日にわたってダウナーなブログ記事を書いたりするのは過去記事を見ても再現性がある。心弱すぎだろと思うのであるが、僕の持病というのはストレス脆弱性の問題というのが大きくなるので、同病の人たちのブログなんかを見ていても何かしらの人間関係のトラブルなどあるとずっと抱え込んでるのを観測などしたりする。


最近の僕はこれでもかなり成長してる方である。メンタルを安定させるためにマインドフルネス瞑想を習慣にしたり、筋トレをちゃんとやったり、睡眠時間もきちんと確保するようにしている。なんとなく思うのであるが、この病気についてはこれぐらい体調管理を自発的にやってようやく安定して生活できるようになる。


ほんとま、生きてるといろんなもんがあるんである。人生ハードモードだよなとは思うんであるが、それで捻くれてうずくまってると後ろから頭を蹴り飛ばされるような環境で生きてきたからね。人生前半は病気やブラック企業のせいで碌でもない人生を送ってきたけど、せいぜい長生きをして帳尻を合わせんと死んでも死にきれんなと思う。


たまにこのブログでは「生きるってなんだ?」的なことを青臭い哲学なんかしてたりするけど、一つのことばかり悩んで視野狭窄に陥ってる状態では絶対に見つからん類のことだよなーと思う。人は悩んでる時にやたら哲学を始めるけど、大抵そんな時は自分の中でぐるぐるしてるだけでどこにも辿り着かずに終わる。


結局のところ、曲に合わせてダンスを踊るようなことが人生を生きるということなんだろうなと思う。こういうのがフランクルの「人生の問いに答える」とか、アリストテレスの「エネルゲイア」的なことなんだろうけど、生活で起きることに応じて、手を抜かずしっかりと自分の手でしっかりの物事を丁寧に成し遂げる実感こそがそれなのかなと思う。


今日は大五郎を待つ間暇だったのでこういうことを考えていた。困難ばかりの人生であるが、こういう障害があるから味わい深くなることもあるだろう。それはそれとしてもうちょっと楽に楽しく生きる方法もないものかと考えもするのだが。