超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

冷笑的な態度を改めないとならん。

冷笑的な態度を改めないとならん。


はい、おはようございます。今日もブログを書いていく。


正直に言うと、どうにも疲れている。正月で一度リセットされたはずなのに、朝がきつい。目覚ましを止めても起きられずに、今日は結局7時まで寝てしまった。ギリギリまで布団にいて、朝マックで済ませて出社、みたいな生活になっている。体力が戻った感覚はあまりない。ただ、精神的に追い詰められているかというと、そこまででもない。淡々とはやれている。だからまあ、大丈夫なんだろう。


私生活周りのことはどうでもいいのである。うちの会社は今度の3連休も普通に公休日は出勤であるし、体力は相変わらず回復できないままだ。気力は底の状態であるけど、どんな風に回復したらいいのだろうと戦略を練らんとならんだろう。


最近、自分のことで少し気になっているのは、自分がやたらと冷笑的になっているんじゃないかという点だ。何かを見たときに、ちゃんと考える前に切ってしまう。距離を取るというより、切断する感じだ。陰謀論とか、極端な主張をしている人を見ると、反射的に「はいはい」と思ってしまう。賢く振る舞っているつもりかもしれないけど、実際は思考を放棄しているだけじゃないか、という疑念がある。


本来なら、まず前提を確認するべきなんだと思う。その人がどんな物語を生きていて、どこからそういう考えに至っているのか。自分と立場が違っていても、完全に無価値とは限らない。利用価値があるかどうかは別として、思考の材料にはなるはずだ。それを最初から切り捨ててしまうのは、楽ではあるけど、あまり健全じゃない。


加齢のせいか、最近は思考そのものを省略しがちだ。自分の中にあるバイアスを自覚していながら、そのまま流している感じがある。何かを妄信する人を馬鹿にすることで、「自分は違う側だ」と演出しているだけではないか。そう考えると、思考していないという点では、あまり差がない。


今の世の中は、右か左か、信じるか否定するか、そういう雑で強い物語が溢れている。SNSでは、強い言葉で断定した方が受けがいい。切断すれば、気持ちよくなれる。でも、それをやっている限り、自分が批判している対象と同じ構造に乗っているだけだと思う。


だから、せめて自分が発信するときくらいは、極端に言い切らない。強い言葉を使わない。即断しない。そういう姿勢を保ちたい。別に世界に名を残したいわけでも、ちやほやされたいわけでもない。自分の見ている世界が歪まずに、できるだけ正確であってほしい。それだけだ。


ほんとさ、ニュースレターとかブログであっても、自分と違う立場の存在であれば、まずは自分が距離を取るだけにして、わざわざ言い切る言葉を使わないと言うのは自分の思考を守るためにも重要だよなと思う。最近はどうにも臭いものに鼻を突っ込んで臭い臭いと喚いてるという行動パターンが多すぎだよなと思う。


陰謀論も、冷笑も、どちらも思考停止という点では同じだと思う。どちらにも寄らず、ちゃんと考える。そのために、距離を取りすぎず、切り捨てすぎず、しぶとく世界を見ていたい。まあ、そんなことを考えながら、今日も書いている。

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