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「考える教室 大人のための哲学入門」(若松英輔著)を読んだ。

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「考える教室 大人のための哲学入門」(若松英輔著)を読んだ。


今日は「考える教室 大人のための哲学入門」を読んだのですね。



大体、読んでいて思いついた事は次のツイートで纏めたかな。





この本で語られている哲学というのは、教科書に載ってるような『ソクラテスは「無知の知」といった』みたいな辞書的な知識の羅列じゃ無いんですよ。実際に、自分でソクラテスプラトンの著作を読んでみて、その哲学者がどんな考えを持っているのか直接原著と対話してみて思想を学べっていうやり方なんですよ。


扱われている思想家はソクラテスプラトンデカルトハンナ・アーレント吉本隆明なんですけど、前述したように辞書的な理解をさせるためにこれらの思想家を取り上げているんじゃ無いんです。実際に、これらの思想家の原著を読んでみて作者が得た哲学が語られているんです。


実際まぁ、情報化が進んだ現代社会において、知識の価値というのは大幅にコストダウンされている物ではあるんですよ。ちょっと疑問に感じたことがあればスマホで調べればすぐに分かる時代です。だけど、その知識には血肉が通っていないんです。情報はお手軽に手に入るようにはなったけど、そこにある質感というかクオリアが分からなくなってるんです。


哲学書というのは必ずしも知識を得るためだけに読む物では無く、難解な問いに読者が悩み続ける読書経験をするためにもあるんです。実際に、より良い人生や実存や国家など、そういった問いを思想家から問いかけられ、それに苦悩するのも哲学書を読む意味なのである。答えが無い問いに誠実に悩み続ける経験こそが、自分の人生をより良く生きる力にも変わるのである。その問いに対して自分で悩んで見つけた答えは世界で唯一無二だ。


人間の存在する意味というのは、情報を効率よく整理してインプットアウトプットするだけじゃないと思うんです。それだけならばそれこそAIの方が効率よく仕事できるはずである。人間ってのはその体験において他の人では代替不可の情念や経験を積み重ねていくはずだ。だから、機械にも置き換えられるような辞書的な知識では無く、その人の人生の実存に裏付けられた生きた物語としての知識を積み上げていくことこそが人間の存在意義なんじゃ無いかと思う。


この「考える教室 大人のための哲学入門」では、そういう自分で哲学を考えるための方法論が述べられていた。哲学すると言うことはそういうことなのである。



こういう事を考えた。


今日の徒然



なーんかね、川崎の通り魔やら引きこもり男性の刺殺事件などで非常に世の中が荒れている。ニュースでもtwitterでも「一人で死ね」だの「ひきこもり」だのそういうキーワードが乱れ飛んで、素人評論家が弁舌を振るっておる。


僕はそういうのはキーワードを見つけ次第、twitterではミュートしますねぇ。最近だと「川崎」「一人で死ね」「引きこもり」などのキーワードでミュートしています。これで運用していて、またTLを観測していてそれ系のキーワードが流れてきたら追加です。大体、時事関係のTLの荒れだと1週間も経つと収まってくるので、頃合いを見計らってミュートを外しとけば良い。


というか、僕はTLを快適に保つことに全力を尽くしているのでムカつく話題やユーザには気軽にブロックミュートリムーブを使いこなす。大体まぁ、そのときに興味がある話題をツイートしてくれる有名人と親しい友人ぐらいしかTLには流れていない。


別に、僕自身フォロワーを増やすことにはあんまり力を入れていない。大体、フォローしてくる人の話題をみて自分の興味がありそうな人であれば相互フォローする程度で、自分からフォロバ目的でフォロワーを増やすためのフォローをしていない。僕の場合は、下手にクソリプなどを貰いたくないのであんま自分のツイートが拡散してしまうのも嫌。なので、自分の把握できない人までフォロワーに入ってしまうのがあんまり好ましくないのでネトウヨとか営業目的みたいな面倒くさい奴はフォローされた時点でブロックする。


どっちかというと僕自身、時事ネタ関係のツイートなんぞもしたりするので、あんま政治と宗教の話はやらない方が良いだろうなーとは昔から思ってるんだけど、言いたいことも言えずに口を塞がれるぐらいなら死んだ方がマシとかそういう面倒くさい事を言いがちなので、「こいつめんどくさ!」と思うなら早々にリムーブすることをお勧めします。


まぁ、正直twitterの利用目的は情報収集とネットの知り合いと連絡を取り合う目的ぐらいしかないので、あんまり知らないフォロワーを増やす必要性は感じない。まぁ、ブログの過去記事なんかも流したりしているので、なるべくならばきちんと営業もした方がいいんだろうなーとは思いつつ、「はらへった」とか「つかれた」とか本当に適当に思いついた事しか呟かないので、そういう自分のテキトーなところも許容してくれる人だけ残ってくれればいいやと思ってる。

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