さて。なんとは言わんがさてである。旅に出るので明日は昼間にブログ書いて予約投稿しておく。今週は質問への回答はお休みですね。まぁ、一問も質問来ていないのでちょうどいいだろう。
まぁ、明日も昼間にエントリーを書くので詳細はそちらで書いておくか。今年はクリぼっち回避である。去年はこんなエントリーを書いていた。
あれ? なんだろう、僕って、魔太郎なみに人を呪い続けているんじゃないのか? 要は来年のクリスマスは彼女を作れば良いのである。去年もまったく同じ結論を言っている当たり、何も成長していないのは明らかである。せめて、彼女が出来てもクリぼっちの人たちには優しくしてあげようと思った。
うむ、なんだかんだで目標は達成してしまったので我ながらすごい豪運だと思う。今年のクリスマスは流石にサンタを誹謗中傷したり、クリスマス中止のお知らせをしてはいけないだろう。
しかし、クリぼっちに優しくすると言ってもどうすればいいのだ。下手な刺激をあたえると本気で襲撃受けるぞ。彼らは神経質なのだ。僕もその立場であったから分かる。
いいか? クリぼっち脱出というのはいつの機会に訪れるのかはわからんのだぞ? 普通に生きていればいつ好きな人が現れて告白したりだとか、告白されたりだとかのイベント発生が起きるかはわからんのである。後ろ向きにならずに前向きに一生懸命生きていればいつか必ず報われる日が来るのだ!! ・・・などと供述しており・・・。
いや、なんと言おうが僕はイスカリオテのユダなのであり、銀貨30枚で皆を裏切っておるのである。いくら後悔しようが後ろには戻れず、前に歩み続けるしかないのである。しかしまぁ、その主の苦悩を知っているがゆえに裏切り者は辛く、むしろ熱心な信者よりも深い信仰心を問われる所もある。
何故か転びバテレンの話になってしまうのであるが、諸兄らは遠藤周作の「沈黙」は読んだことがあるか?
- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1981/10/19
- メディア: 文庫
- 購入: 26人 クリック: 337回
- この商品を含むブログ (279件) を見る
あれは神父に深い信仰心があったが故の棄教になってしまうのであり、タイトルの「沈黙」は神の沈黙であるのだね。真の苦境におかれた時に神に祈っても何も答えてはくれなかった、みたいなキリスト者の遠藤周作らしからぬ辛辣で挑戦的な小説であったのだよ。
遠藤周作は僕は大学ぐらいの時に結構色々と読んでいた。「ディープリバー」「海と毒薬」「わたしが・棄てた・女」あとは狐狸庵先生名義のエッセイなんぞを読んでいた。「海と毒薬」にしてもそうなんだけど、遠藤周作にとって「神の沈黙」ってのは結構、重要なメインテーマだったんじゃないかと思われ。何かしら究極的に倫理が廃退したシーンが現れて、それが無機質に淡々と時間が過ぎていくみたいなシーンがよく現れる。
そもそも僕の信仰ってのは沖縄の民間信仰の先祖崇拝なのであり、キリスト教なんぞは全然わからないのであるが、それでも唯一神に対する憧れみたいなものがなかったりはしなくはない。わりかし、沖縄の先祖崇拝ってのは神道にちかい所があるのであり、自然の中にある神様たちは八百万的なのである。
僕はまぁ、書いている小説は2次創作で東方プロジェクトばっかり取り扱っているのであり、神道への憧れみたいなものがあるのである。でも、国家神道にはあんま興味がなくてですね。どっちかと言うと天津神よりは国津神寄りというか、伊勢神宮は一度は行ってみたいと思うけど、神在月の出雲神社にも行きたいなーみたいなもんなのである。
神社の雰囲気みたいなもんは好きなのではあるんだが、古事記とか日本書紀を読んでいたら見えるような、天皇家を中心とした宗教での民心の統一みたいなものがあったんだろうなーとは想像している。僕は一度、稗田阿礼を主人公に小説を書いたのではあるのだが、阿礼は誦習を通じて古事記を編み出したのだけど、それは淡路島周辺の民話を阿礼が収集して、国造りの神話としてその時の支配者である天皇のために編纂した物語であることが予想される。
極端なことをいうならば、イザナギ・イザナミの国造りあたりもただの淡路島周辺の民話の一つなのであり、それを時の権力者が権力の中枢で権威付けに利用したのであり、天照大御神あたりからはかなり権力者の意図的なものが混じってたんじゃないか?みたいな説もあるようである。これは口語訳古事記あたりで読んだうろ覚えなんですけどね。
- 作者: 三浦佑之
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/06/01
- メディア: 単行本
- クリック: 16回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
つまりは、稗田阿礼は口伝を利用して国家の中枢にあたる信仰の中心の神話を生み出しちゃったんですね。誦習ってことなので阿礼が読み上げた物語をそのまま古事記に書き写しちゃったんですよ。阿礼はフィールドワークで民話の採集みたいな民俗学者みたいな事をやってた学者だったと思うんです。おそらくだけど、神道という宗教を編み出したのは稗田阿礼の話した言葉からなんです。この辺りで稗田阿礼に興味をもっていて歴史小説の主人公にして作品をつくりたいなーとか思ってたりするんですけどね。
あれ?閑話休題。よくわからん領域に来てしまったが、その時代時代において信仰心なんてものは為政者の意のままに作られる虚しいものであり、ひいてはクリスマスなどというイベントに心を揺さぶられるというのは儚さの極みだということだ。人間の信じるものは自分が選んだものに他ならず、信じたいものを信じりゃいいということだ。
あぁ、分かりました? 口先八丁で適当な与太を書きまくっただけです。メリークリスマス。
僕が歴史小説で書きたい偉人は稗田阿礼です。 - 超メモ帳(Web式)@復活
日々の隙間。 - 超メモ帳(Web式)@復活
寸劇2.0_overture。 - 超メモ帳(Web式)@復活