小説を書いているんだけどさ、結末は分かっているのに生活がダラダラとしていて書けていない。今、大体、3万3千字ぐらいかな。クライマックスで筆が止まってるんだ。全部で5万字程度ぐらいになるかな? でも、ストーリーの展開上、これから文章量を膨らませる要因ってあんまりなくて、むしろここから筆が滑って話があらぬ方向へ転がってしまうと、物語の風呂敷を包む事ができなくなる恐れがある。ここからは文章を引き締めて、語るべきことのみをきっちりまとめる方針で進めていったほうがよろしいだろう。
今日は、午前中だけ出勤で午後からは暇があったのに寝てしまった。別に体調が不調というわけではないんだけど昼寝が習慣の中に入り込んでいる。良くない傾向だ。人生の中の可処分時間というは限られているのに、やれることをやらずに逃げてしまうのは悔しいものがある。時間があるならばやりたいことは山ほどあるんだ。やれるんだったらハロウィーンのイラストでも描いてしまおうかとも思っているんだけどね。
というか、冬は不調になるんだよね。病を患った後からなんだけど、冬になると睡眠時間が異常に伸びる。下手すると12時間ぐらい寝てしまうのだよ。陰性症状が発生していた頃なんだけどさ、毎日何にもやる気になれなくてずっと寝ている時期があったのよ。一年前のこのブログの毎日更新を始めた頃がその時期に当たるんだけど、調子は完璧に上向いている。毎日、やるべきことをやって、生活習慣を整えるように努力してきた結果だろう。だが、冬は怖い。また、動こうとしても動けなくなる恐怖感ってのがある。今のうちから何かしらの対策は練っておかないといけないだろう。
昼間に眠るとやる気が著しく落ちる。何かしら手遊びでもしながら起きていないと駄目だろうな。小説だって本当はもうちょっと早く仕上げてしまいたかったんだ。僕の遅筆ってのは想像以上だからな。3万字とかその程度の短編で一年ぐらい時間を掛けてしまうからな。ブログだって毎日2000字ぐらいは1時間で書けているから、小説に毎日時間を掛けるようにしていたら、今手がけている作品だってあっさりと終わってた可能性がある。アイディアをプロットに起こしている作品ってのは沢山有るんだ。そこから作品を量産できないのは僕に才能がないからだろう。これから商業作家を目指すんであれば、作品の量産は必要最低限の条件であって、まずは手を動かさないといけないはずなんだ。
さて、今日の本題は例のごとくネタ切れなのだ。ネタ切れとかいちいち書かなければ良いような気もするが、僕のブログ執筆のスロットルが入るのはネタ切れという単語を書いた後からなのだ。
はてなブログを一年以上続けていると過去の同じ時期に投稿した記事がメールで送られてくるのだよ。今日はそれでリライト企画をしてしまおう。
今日、リライトするエントリーはこれだ!
ブログ論を毎度毎度語っている僕なのだが、かつて3年前はブログ論を馬鹿にしてたらしい。
さて、世間には数多のブログ論のエントリーを書いてるブログがあるのですが、そんなものを書き始めるとそのブログはもう末期でそろそろ更新も止まるなと思っております。
ブログってのは書きたい奴が書けばいいだけなので、その事自体に何かしらの理由を付ける必要は無いと考えている。
うーん、僕はある意味、純粋だったんだな。ブログを書くことに理屈はいらないと思っていた様だ。現状では全く考え方が違う。ブログ論は良く書くし、他の人のブログ論も読む。ブログ論ってどんなブログであってもお手軽に書けるブログネタで、困ったときは積極的に書くべきだ。
何が言いたいのかというと、ブログ書いててもそんなに偉いわけでも凄いわけでもないよってこと。それこそ個人の妄想の吐出口の一つとしての役目しか持っていないのに、そんなもんを崇め奉る必要はないのです。路端に生えてる雑草みたいなものでしかないでしょう。ちゃんとしたクオリティの文章を読みたいのであれば、amazonにでも行っておすすめの本を一冊買って読みゃいいわけで、そんなもんに大層な価値観を求めるのはお門違いであると思うのです。路端に転がる石や雑草もよくよく眺めてみれば面白い物があったりする。ブログに対する僕の認識はそんなもんです。
この辺りはどうなんだろうな? この頃の僕は文章的なクオリティに随分と囚われていた気がする。ブロガーにもすごい精神性を持った人がいるというのを良く知っていなかった。
ブログってのはね、下手に練度が揃っていないだけにピンキリなんだよ。ただただゴミみたいな妄想を書き綴っている人もいれば、恐ろしい完成度の文章で勝負しようとする人もいるんだよ。これはリアルタイムで読んでいないと分からないことなんだと思う。日頃の生活すべてをネタにして書き綴るのがブログの文章だ。兼好法師から連なる随筆のエッセンスがそこにはある。ライブ感のある文章の良さが分かってきた気がする。文章は生き物で、言葉の意味は瞬間で変わる。
人間の考え方なんてその時その時で変わっていくものだ。かつてのその思いを見た時に思うところはあるが、淡い憐憫みたいなものだ。『男子三日会わざれば刮目して見よ』。信念も何もかも移り変わっていくものだ。