超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

ナラティブを人生でどう活かすのか考えている。

ナラティブを人生でどう活かすのか考えている。


僕は月水金はジムでトレーニングをしながら本を読んだり、ポッドキャストを聞いたりする。昨日はウォーキングをしながら、60分ほど歩いて本を読んだ。「カウンセリングとは何か」という本を先週から続きを読みながらのウォーキングだった。これで、ひたすら「こころとは何か?」を考えていた。



僕は心理学科卒で、大学時代は認知科学系の研究を主にやってきた。卒論はギブソンのアフォーダンスで出した。いわゆる認知科学系の、人間の心の機能や癖といった視点から考えるのが好きで、そこに興味を持って勉強してきたのである。一方で、臨床心理系、特にカウンセリングというのは、人間の心の機序というよりも、人生におけるストーリーや成長、不具合の因果といったナラティブの力について考えるものなんだなと感じる。


人間は、ただ飯を食って寝ていれば生きられるわけじゃない。生物学的に生存する以外にも物語が必要なんだと思う。アイデンティティや国家への所属、自分の好きなことなど、それぞれ人々がのそれぞれの物語を持っている。人間はナラティブなしでは生きられない生き物だと僕は考えている。


僕が心理学で興味を持つ人間の部分は、より機能的なもので、嫌なことを考えまいとすると逆に繰り返して考えてしまう「シロクマ効果」や言葉を前もって与えるだけで行動が影響されるのような「プライミング実験」のようなものだ。けれど、カウンセリングで扱うナラティブは、人生における物語の意味を考えること。それが多くの人にとって心の支えになるということを、この本で理解した。


しかし、今の世の中を見ると、ナラティブが暴走している時代である。例えば、自分は虐げられているとか、あいつらを倒せば生活が良くなるといった単純な二元論が社会の分断を生み、ポピュリズムでの社会の混乱を生んでいる。こういうプロパガンダやナラティブの暴走をどうするか社会的に考えるのも好きだが、カウンセリングで考えるべきは、ナラティブの力を人を癒す力として生かすかだと思う。


人生がどんなに苦しくても、心の支えになる物語があれば生きていける。ナラティブに従って生きている人は多いし、中世の暗黒時代でも、過酷な生存環境の中でキリストが見ているという物語があれば耐えられたという宗教の効果もある。ナラティブの力は人を救うこともできる。


僕自身も、人生の物語を解読し、それを良くしていくために寄り添うカウンセリングの側面を考えている。僕の人生はクソゲーだと良く言うが、それはネガティブなナラティブを持つことで、最悪の現実に対して最初から備えていると言う防衛機制なのかもしれない。


僕はさまざまな思想を組み合わせたでフォワーディズムという実践哲学を持っているけど、そこにナラティブな力を加えれば、生きる理由を与えることができるんじゃないかとも考えている。フランクルのロゴセラピーを参考に、ナラティブの実存的な側面を加えようと企んでいる。


人間の心のレイヤーには、現実の世界の他に、バーチャルなナラティブな世界がある。現代の世の中では、それが暴走して現実を歪めているように見える。だが、もっと現実に寄り添いながら、その人の弱さや心の柔らかい部分を埋めるように、現実と自分のギャップを埋めるのにナラティブを使うことができるんじゃないかと考えている。


この方法でナラティブを使えば、どんなに現実が苦しい状況でも耐えられる。フランクルがナチスの強制収容所で耐えられたのも、ナラティブで実存の力があったからだ。だからこそ、この本を読んで、ナラティブの力をうまく使う方法を考えたりしている。人生の物語をどう活かすか、これからも考えていきたい。