超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

さて、介護生活が始まってしまったな。

さて、介護生活が始まってしまったな。


今日は母親の退院処理を色々とするために会社は有給でお休みであった。一日中バタバタと大騒ぎをして、20時ごろにブログを書いてる感じである。


さて、母親が家に帰ってきたのであるけど、一体、どういう心持ちで過ごせばいいのかさっぱりと分からなくなっている。ここ2ヶ月ほどはずっと一人で飼い猫の大五郎と二人きりの生活をしてたので、自分の生活圏内に他者がいるのに戸惑ってる。


極めて動物的であるなーと思うのだが、母親の状態などにずっと警戒状態で気が張り詰めてる感じ。ちょっとチャッピーくんに相談してみたところ、今回母親が入院する時の対応というのは、深夜に母親が倒れたのを救急車を呼んだりなどして緊急的な措置で対応したので、多少PTSD的な危機の記憶が保存されてるのではということらしい。


これ、母親の方も弱っていて色々と介護が必要で大変かもしれないけど、介護する側の僕の方も気が張り詰めて大変だ。小さな物音にも反応するような状態であり、これ、慣れて安定するまでには僕もかなりストレスを溜めることになるぞ。


やっぱさ、環境が変わるというのは大きなことなんだなーと思う。熱帯魚とかでも環境が変わるとすぐに死んだりするし、人間も、大きく環境が急変するとストレスを感じる。これは人間も動物だからであり、そういう自然の摂理には意志の力で逆らおうとしても無理なことであろう。


ストレスに潰されないように、休日はどこかで一人で過ごす時間というのを作らんとならんなと思う。今週末はひとまずサウナにでも行こうかと思うところだ。あんまり母親一人で置いておくのも心配な感じもするものの、こういう生活の縛りを作られてもたまったものではない。一日数時間ばかし一人になれる時間がないと僕が潰れるし、僕が潰れると一家全滅である。


ほんとま、困ったもんである。しかし、母親とこうやって一緒に暮らせるのも、これからあとどれぐらいの時間があるかも分からない。やっぱり自分の親ではあるし、「孝行したい時に親はなし」という諺もあるぐらいである。今のうちに尽くしておかねば何かあった時に後悔するのは自分なのだろう。


しばらくは生活もスピードダウンして過ごさねばならんかなと思う。何か複雑な判断が必要なことはしばらくは避けておくのが吉であろう。自分自身、色々とぐるぐる思考に苦しめられる時が度々ある感じであり、今は親の介護で一杯一杯。


ブログの方は自分の考えてることなどを語る場所として色々と書いてるけどさ、こうやって思考を言語化して整理するのにはすごく役立っているなという感じ。


これから先の生活においても、こうやってブログで考えを整理しながらやってるうちは大丈夫かなと思う。大きな問題になる時は、冷静さを失ってパニックになってる時であり、ブログで内面を見つめる時間があるうちはまだ大丈夫。


自分自身の気持ちであるとか、これから先の行動指針であるとか、そういうことについてはさっぱりと分からんのだ。状況は流動的であり、頭で計画したことは全く役に立たない状態。ちょろっとChatGPTに相談したぐらいでは、現実問題に対してはあんまり役に立たないし、目の前で起きたことにアドリブで対応する柔軟性が必要になる感じ。


とりあえず、現状の僕の行動指針としては、状況が安定するまで急には動かない。元々、アドリブとか咄嗟の判断については才能がないタイプの人間だ。熟考に熟考を重ねて、自分の頭の中で完璧なシナリオを作らないと動かないタイプである。


現状において、頭で考えすぎることは、不安なことばかり思考をめぐらせて消耗するばかりである。こういう状況において無理に力を加えると、心が折れる。現状は無理をしないように心を静めることだけに注力するのがいいだろう。

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