scrapboxを使おうと思う。
僕は結構なメモ魔であり、アナログデジタルを問わずに思いついた事をいろんなところに書き散らす癖がある。まー、ブログを書いたりするのもその習慣の一環であり、気を抜くと相当に長い長文のメモをとってしまうのだ。
普段使っているメモの環境はEvernoteなのだが、これが最近重すぎてな。。たまにメンテナンスで止まったりして非常に不便な思いをしている。
まー、Evernoteにはブログネタ、小説のアイディア、読書メモ、プログラミングのスニペット、作業ログ、など雑多な情報をぶち込んでおり、そのほかにもはてブした記事のクリップ、twitterのログもIFTTTを通じて保存してある。現在では全部のメモ数で3万件とかそんぐらいは軽く超えるのであり、本当に人生すべての記録のかなりの部分をEvernoteにぶち込んである。
だけど、これを普段使いのメモにしていると結構めんどくさいシーンが増えてきてな。Evernoteのエディターは動作が異様なほど重いのである。僕はWindowsクライアントなんかは既に使えないぐらいにメモが貯まってしまってるので、普段はWebページ経由でつかってる。
最近は、検索するのも重たくて、結局、Googleで新たに情報を検索しなおしたりするケースが増えている。Evernoteは単なる情報の最終集積地になって、ブログなどで過去に読んだ記事を参照したいことなどがあれば、検索してみて引っ張り出したりするぐらいにしか使わなくなった。
なんで、scrapboxを普段使いのメモツールとして使おうかなと思ってな。
なんか、wikiっぽい使い方ができるメモツールらしくてな、これで作業ログとか読書メモとかをまとめて置こうかなと思いついた。
現状、使ってみたけど動作も軽い。メモ間のリンクも簡単に張れるらしいのでアウトライナーの代わりに小説のアイディア出しにもつかえるだろう。
しばらくはメモツールは全部scrapboxでやってみる。こういうのは使い慣れるまでは徹底的に没入してみるものなのだ。プログラマにとってはエディターってのは一日中生活する環境ですもんね。常に使いやすいツールにしてカイゼンしようと試みる事は重要なことだ。まぁ、1月ぐらい使用感を試してみようと思う。
今日の徒然
今日はランニングで朝5km走ってきて、日々のルーチンのままに仕事をきっちり行ってきた。仕事の行き帰りでは本を読んでおり、今は「エンジニアの知的生産術」(西尾泰和著)をよんでおる。
んー、なんかね。最近、自分の中で自己啓発本ブームが来てる。僕のブログを長年読んでいる方ならば、僕がその手の意識高い系をさんざん馬鹿にしてきたのはご存じだろうが、ありゃ同族嫌悪の一種である。本来、僕も相当な意識高い系であり、それで徹底的に痛い目にあってきたからゲスな意識低い系(?)に転向しているのである。
どんぐらい意識高いかというと、新卒の頃に松下幸之助の「道は開ける」とか、ドラッカーの「マネジメント」などの経営関係の本をよんで、新卒が社長に経営についての提言をして失笑を買うクラスである。新卒の頃は冗談じゃなく毎日自己啓発本を読みあさって恐ろしい意識の高ぶらせ方をしてた。そのころにmixiで日記を付けていたのだが、今や完全なるパンドラの箱である。たまにサルベージしようかなどと考えてmixiを覗いてみるのだが、そのあまりもの痛々しさに目を潰されて下手すりゃバルスまで発生する勢いである。
なので、普段は小説やら新書ばっか読んでるんだけど、たまに面白そうな自己啓発本があれば読むのである。最近、勉強法みたいな書籍に興味があって、そういうのばっかり読んでいる。
んー、まぁ2~3ヶ月もしたら今の状態も飽きてきますよ。あの手の自己啓発本ってのは栄養ドリンクなんです。疲れたときに飲めば効くけど、それだけで一日分の食事全部を賄えるような完全栄養食ってわけじゃないんです。それなりに経験積んだサラリーマンというのは、ああいうのは盲信はしないけど、元気がほしくなったときに読むのです。栄養ドリンクの飲み方と一緒で、効くと信じて読む。まぁ、良書ならそれなりに使える汎用的な考え方もありますもんね。
まぁ、昨日の清水幾太郎の「本はどう読むか」の続きなんですけど、自分の経験が伴ってないような知識ってのは単なるカーボンコピーなんですね。知識は生活の中で使ってなんぼなんですよ。使えない知識ってのは単なるこけおどし程度にしか使えません。意識高い系がなぜだめかというと、知識を単なる他人へのマウンティングの道具にしか使えないからですよ。口先では偉そうなことをいうけど、実際の作業では全然手を動かさないから駄目なんです。作業効率を上げるlifehackなどの知識やツールなどは実際に現場で生産性を上げるために活用せにゃならんのである。このあたりは福沢諭吉の「学問のすゝめ」で述べられている実学志向とか、プラグマティズムに通じる。道具は使ってなんぼである。道具に使われるのはただのアホや。