AI時代の割と穏当な将来予想図。
今日、ネットを彷徨ってたら次のスライドを見つけたんですよ。
どうも、twitter界隈なんかをうろうろしてたら意識高い系がAIで仕事が奪われるからみんなフリーランスになるべき!みたいな事を強弁してたりするじゃないっすか? アホじゃねーかと思う。
大体まぁ、僕はプログラマであるが故に機械学習とかも勉強するんですよ。だから、AIが人間の代わりになることなんてよっぽど運の良く世界が進展していかないと無理だろうなーとは予想がつく。画像認識で犬を判定するとかその程度でも馬鹿みたいなビッグデータを学習で喰わさないといけなかったりして、それを複雑な日常生活の中で実用段階のテクノロジーまで持ってくのがどんだけ開発コストかかるか分かるだろうか? 例えばスマートスピーカーとか流行っているけど、あれを本格的に日常生活の中で家電製品と組み合わせようと思うと、電子工作でRaspberry Piと組み合わせてプログラミングまでしないといけない。実質、現状、スマートスピーカーはギークのおもちゃである。
まーでも、上記のスライドで産業革命の事を書いてたりするんだけど、AIが人間を超えるシンギュラリティはまぁいずれ訪れるとは思うけど、20~30年後ぐらいじゃねーかな?と思う。ディープラーニングとかそういう機械学習の新テクノロジーも加速度的に発達しているし、いずれは人間に以上の認知能力を持つAIぐらいは生まれるだろう。
でもまぁ、AIに仕事を奪われるってのはまずまず考えにくい。実際にAIで職人の作業を置き換えたのは下記の記事なんかがある。
いままで熟練工がやってた検査作業などをAIで代替させたりしているんだけど、それでもそれを学習させるために人間の熟練工の作業データなどを大量に入力する必要がある。AIを使うにしても作業をを学習させたり、実際に運用したりするのは人間の仕事なのである。AIを作成するプログラマとかデータサイエンティストなどの職業は逆に需要が増えていくだろう。
それにWindows95が発表されたあたりの「IT革命」などのキーワードが飛び交ってた時代には、サラリーマンの仕事は全部コンピューターとインターネットで無くなるなどと今とおんなじ様な事が言われてたけど、実際のところ仕事の中にPCを使う作業が増えてサラリーマンの仕事は複雑になっていっただけである。AIが普及したとしても、そのAIのパラメータを調整したりだとか、どんな仕事をさせたり計画したりだとか、人間の意思が作用しないと進まない仕事の重要性はますます高まっていくだろう。
ま、でも、PCだったりスマホだったりを使える人と使えない人で差が生まれるデジタルディバイドみたいな感じで、AIを使いこなせる人と使いこなせない人で格差が生まれることはあり得ることだなーとは思う。AIが使いこなせない人たちはコールセンターでのクレームの対応みたいな感情労働だったらAIに置き換える事はできないので、人間の労働の需要はあるだろう。AIによる産業革命が起きることで人間の働き方に何らかの動きはあると思う。さらに高度な人間の判断力による価値の創造みたいな事にリソースが割り振られるんじゃ無いかなと思う。まぁいずれにせよ資本主義社会というのは人間の欲望によってドライブしてきたんで、人間の仕事が無くなることはないだろう。
今日の徒然
今日は朝4時に起きてランニングに行ってきた。5kmは普通に走れるようになってるね。この調子でゆくゆくは10km20kmと走れる距離を伸ばしていって、最終的には那覇マラソン42.195kmを走破したい。
まー、ランニングに関しては気長にじっくりと習慣を続けていかないと体は鍛えられないだろう。現状、5kmでもフィールド外周のラスト一周はしんどくて歩きたくなる程度の体力しかないのである。これはもう、きっちり週3でランニングする習慣を継続するしかない。
まぁ、ランニングの事についてもそうなんだけど、僕は習慣化の鬼なのである。一旦これをやるときめると、かなりの長期間にわたってその習慣を継続できる。このブログの毎日更新なんかも、現在、893日連続継続中であり、もうちょっとで900日連続更新記念日を迎える。
一応、キリ番のごとにアニバーサリーデーなどと称していろいろと特別な催し物をしようと企んではいるけど、900日みたいな中途半端なキリ番は祝ったところで何もない気がする。。どうせなら1000日までとっといて大々的なお祭りをやった方が良いかな?
ぶっちゃけ、1000日連続更新ぐらいならはてなブログ界隈をうろうろしているとまぁ、そこそこ達成している人は居ないわけでもないのでそこまで希少価値があるわけでもないような気がする。僕が究極的に目指しているのは一生に渡ってブログを書き続けるコンテンツホルダーになりたいと思っている。目標としては20年近く毎日エッセイを更新し続けている「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さんである。
ほぼ日に関しては今年からほぼ日手帳も使い始めた。ブログとは別にアナログでもひと言メモみたいな日記を残しているのである。僕はまぁ、基本的にメモ魔である。何か考え事があればエディターを開いてキーボードを叩きつつぼんやりと考え込んでいる。紙媒体のメモであれ、毎日何かを書き綴る人生ってのがデフォルトみたいな人間なのだ。
だけど、最近わかってきたことなんだけど、書くだけ書いて気分良くなって、書き終わった後のメモを読み返す事がほとんど無いんですね。ブログに関しても多分、長編小説3巻分ぐらいの文字数になってるんだけど、しんどくてもう読み返せない。大体まぁ、あの情報はこんなキーワードで書いてたなーみたいな記憶はあるので、それで検索して引っ張り出してみて「あわせてよみたい」などでリンクを貼り付けているのである。
もうちょっとメモなどはうまく活用して、丁寧に生活を送りたいなーと思いました。まる。