超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

僕らは同じ空で繋がってる。

f:id:yuki_2021:20190725052319p:plain

僕らは同じ空で繋がってる。


さて、今日の本題は何をかきますかね? 考えるのが面倒くさいので今週のお題で済ませてしまいますか。


今週のお題「空の写真」

色とりどりの空模様

今週のお題は「空の写真」です。

毎日違う景色を私たちに見せる空。今日はどんな空でしょう? 今週は「空の写真」をテーマに、はてなブロガーの皆さんのエントリーを募集します。「変な形の雲」「思わず撮った空の写真」「天体観測の記録」など、あなたの「空の写真」を紹介してください。ご応募をお待ちしております。


空の画像を晒せってか。まってろ、今、Googleフォトの中覗いてみる。



東京お台場の大観覧車辺り。



新潟、越後3山



沖縄、ニライカナイ橋あたり。


思えば、僕と彼女さんは色んな所を旅してきたであるなーとアルバムの中を覗いてみて考えてしまう。大体3ヶ月にいっぺん程度は旅行に出ているのだけど、いろんな場所から空を眺めているが、どこも変わらず薄い青の空色なのは不思議な事であるなーと思う。まったく言葉が通じないような異国の地であれど、空の色は全世界共通であの青なのである。


想像しても欲しいのだが、僕らは本当にこの天空の下で70億人だかの人生を地続きで送っているのである。僕は宇宙の果てでも想像するような途方もない気持ちになるね。僕が普通に毎日、仕事をして飯を喰ってブログでも書いている毎日を送っている所で、インドでは誰かがカレーを食ってたり、アフリカでマサイ族がジャンプしてたりする訳だ。どれだけ言葉が通じなくても、思想がまったく違っていても、空は共通して青いのである。


地球とは違う星の異星人とかそういうものになると、ナメック星みたいに空が緑色だったり、赤だったりするのだろう。地球の人間が普遍的に共通したような考え方を持っているのは空が青い事や時々曇ったり雨が降ったり、虹が架かったりすることに共通する無意識があるのかもしれない。


空を眺めていると、世界の途方もなさを感じてしまう。僕がこうして文章を書いている間にも、どこかで赤ん坊が生まれてどこかで人が死ぬのである。僕らはまぁ、同じ空で繋がっているのであろう。

「朝のリレー」

 カムチャッカの若者が
 きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は
 朝もやの中でバスを待っている
 ニューヨークの少女が
 ほほえみながら寝がえりをうつとき
 ローマの少年は
 柱頭を染める朝陽にウインクする
 この地球で
 いつもどこかで朝がはじまっている

 ぼくらは朝をリレーするのだ
 経度から経度へと
 そうしていわば交換で地球を守る
 眠る前のひととき耳をすますと
 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
 それはあなたの送った朝を
 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


谷川俊太郎谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)


これは朝だけど、僕は空をみているとこの詩を読んでる気持ちになる。僕らは同じ空で繋がってる。

今日の徒然


さて、今日は飲み会なので朝4時からエディターを立ち上げて、おもむろにキーボードを叩き始めている。何を書きますかね?


適当にブログ論でも綴っておきますか。僕はブログの毎日更新で1000日以上続けていますけど、これはもう完璧に物を書くということが生活の一部としてなじみ切っているということである。生活の中で文章を書くという行為では日記などがあるが、ブログの場合は第三者が読む物なので、誰かが読む事を想定した文章を毎日書くという生活はまた違ったものになる。


ブログの毎日更新をしているけど、僕はさしてネタ帳みたいな物を用意している訳では無い。大抵の場合、昼間に仕事中の時から、今日のブログで何を書くかぼんやりと考え始めて、帰りの車のなかではっきりと書くものを決定して、それでおもむろに20時半頃から書き始めるというルーチンになっている。ブログで書かれているコンテンツというのは毎日ほとんどアドリブで生み出されている物なのだ。だいたいまぁ、今日の徒然と本題の2000字程度でしたら、さして難しい事を考えずとも定時にキーボードを叩き始めれば完成してしまう物なのである。


ブログを書く上で「質」か「量」か?みたいな話はありますけど、僕は圧倒的に量が肝心だと思っている。まぁ、僕はブログのアクセス数を伸ばそうだとか、アフィリエイトの額を伸ばそうだとかそういうことはまるっきり思考の端から漏れ出してしまっている人間なので、そういう人間の戯れ言だと思って聞いていて貰えばよろしい。


そりゃまぁ、僕も今日のように何も思いつかない日は何にも思いつかず適当な事を書いているエントリーがありますけど、僕のブログの場合はそう言うものも含めて一つのコンテンツである。僕のブログの売りみたいなものといえば、毎日毎日、一記事一記事手打ちでしっかりとそのときの感情を封じ込めているエントリーを書いているという事に尽きるからだと思うのだ。


僕がコンテンツの面白さなどの質をもとめて毎日更新を辞めてしまうと、おそらくブログはそのままフェードアウトしていただろう。僕が他人のブログを観察していて思う事なんだけど、いままで毎日更新していた人がブログの質を高めるために毎日更新を辞めると言い始めると、9割9分9厘そのままブログ自体もフェードアウトしていくものなのです。100日連続更新とかそこそこ続いていたブログが停止するパターンはいつもこれである。毎日更新というのはミシンの弾み車を回し続けるようなもので、毎日ちょっとづつでも力をかけ続けないと、回転が止まるのである。一つの記事で完璧を求めるよりは、くだらない記事であっても毎日書き続けた方がブログを継続するのは楽だ。


僕はたまに自分のブログを読み返してみる事があるけど、自分という人間が日々意識している事がダダ漏れで表現された面白いコンテンツになっていると思う。ブログの読み味というのはこういう、どうでもいい事も含めて日々の出来事を徒然なるままに封じ込めてあるコンテンツなのでは無いかと憶測する。僕はまぁ、こういう毎日どうでも良い事を綴り続ける事がアイデンティティになってしまっている人間なので、これからも死ぬまでしつこく毎日更新を続けて行こうと思う。

プライバシーポリシー免責事項