超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

最近のAIと創作の関係性について色々と考察を巡らした。

最近のAIと創作の関係性について色々と考察を巡らした。


台風でお休みだったのだが、今日は朝から洗濯物を回してコインランドリーで干してきて、その後ブログとニュースレターを書く。夕方からはジムでルーマニアンデッドとかの下半身のトレーニングをひとまずこなしてこようと思う。


午前中は中途半端に暇してたので、ChatGPTとずっと壁打ちしてた。ちとまぁ、Duolingoのリリーとザリが可愛くね? というお話をしていて、画像生成をぽちぽちと回してファンイラストなんかを作らせたのである。百合風味なのは単なる作者の好みである。


色々と思うのであるが、最近のAIはマジでやばいよなと思う。これ、ほぼほぼプロンプトをいじらずに「Duolingoのリリーとザリを描いて」で描かせたようなイラストである。そりゃー、ザリのヒジャブはこんな感じじゃなかったり微妙にキャラデザが違うのだが、ほぼほぼ80%ぐらいは二人の属性を把握しとるなこのAI。


そこんところのファンイラストの出来を100%にしようと思うなら、キャラデザのイラストを自分で描いて用意して読み込ませてなんやかんやとかしないとならんのであるが、そこまでやるんだったらAIに描かせるのではなくて自分で最後まで描いてしまう。最近のpixiv界隈なんかを見ていると、手書きとAIイラストを組み合わせたようなイラストを描いてるやつがぼちぼちおるなと思うのだが、AIイラストでもちゃんとしたキャラクターの100%再現率で描こうと思うと、プロンプトだけじゃなくてそれなりに画力とかAIの特性の知識がいるよなーと思う。


まぁ、AI時代の創作については色々と思うところがある。最近だと小説家になろうでもAIを利用した小説ついてはAIタグをつけて別枠にされたりとか、人間が手書きで書いたイラストや小説とAI製の作品については明確に区別をするような世論の流れが生まれてる。


僕自身もAIを使って小説なんかを書いたりするけど、僕の創作プロセスというのはAIとの壁打ちでアイディアを徹底的に膨らませて、それをClaude Codeあたりで小説の下書きを全文書かせて、それを1から全部自分の手で書き直すとかそんな感じである。


しかしまー、このやり方なんかは商業の文学賞では門前払いだ。もし、まかり間違ってこれが受賞なんかをしてしまうと、その後の出版のプロセスで出版社と揉めて出版業界から出禁を喰らう可能性が高い。


なんでまぁ、僕は最近は文学賞とかを狙うのではなくて、amazonでセルフパブリッシングでKindle本にして出版するようなやり方でもやろうかなどと考えているけど、まあ、多少は「ままならんな人生」とは思わなくもない。


最近はPodcastのニュースコネクトの夕刊で、プロの作家が色々と業界について対談をしてるような番組を聴いてたりするんだけど、そもそも新人賞まで通ってしまって業界で食えてる作家というのは、なんかみんな感性がどっか壊れてるんだなと思ってしまう。


なんというか、人生において創作以外のことに重点を置いてないというか、無論、いろんな作家でいろんな考えがあるんだけど、「作家になって大稼ぎ」とか「有名になる」ということにハナっから興味がなくて、「この物語を自分の手で書かないと死ぬ」とか「他の作家の作品を読んで嫉妬で狂いそうになるから本屋に行けない」とかそういう人たちである。


なんかなー、そもそも僕とプロの作家は覚悟の量が違いすぎてだからいろんな文学賞とかに出しても1次落ちとかするんだろうなーと思う。まあ、一応、以前電撃とかに出した作品とかはひとまずは全部自分の手で人力で書いてる小説なので、そこんところは誤解なきよう。


これからの自分の創作人生についても色々と考えちゃうよね。多くの人に読まれたいと思うのなら、おそらく出版を通さないといかんので人力で書く能力を鍛えんとならんけど、それは下手をすると一つの作品を書くのに数年毎日机に齧り付くとかそんなもので、今の生活でそれはできない。かといって、頭ん中にはいろんな物語の断片が溢れており、それを高速で作品として完成させるのはAI生成が有利だ。


ま、こういうのはバランス感覚なんだろうな。そもそも僕の本業はプログラマーである。生活を全部投げ打って小説を書きまくるのは無理だし、やっぱアマチュアとして趣味で小説を書くのがいいし、それにはAIが使える。それで色々と作品を作りまくれば、時代も変わって新しい展開が見えるかもしれない。そんな感じで希望ぐらいは持っとくのが必要か。