小説を書く趣味があるが、やっているのは二次創作である。これははっきり言って恐ろしく役に立たない趣味である。まぁ小説書くこと自体が役に立つ趣味か?と言われると困るのであるが、少なくとも少しばかりは他人に自慢ができる趣味ではある。しかしながら、二次創作は自己満足以外の何物でもない。そのジャンルを知らない人に見せてもさっぱり理解してもらえない。小説書く練習ぐらいにはなるかーと思っているが、練習以上に得られるものは何も無いんである。しかも、大作を書き上げても公募にもだせない。せいぜい、同じ趣味を持った人たちにWebで公開して自慢するぐらいしか出来ない。頑張っても同人誌を出すぐらいしか出来ないのである。しかも、それで大ヒットしたところで世間的には無名の同人作家だ。まったくもって世間と没交渉な趣味なんである。
じゃぁなんでお前は二次創作書いてるの?と言われると困る。好きだからとしか言い様がない。オリジナルを書くこともあるけど、書いてて楽しいのは二次創作ですね。じゃぁ別に悩む必要ないじゃんって言われそうだけど、かなりの時間を掛けて二次創作やっているけど、世間的には全く無意味ということを、なんか急に悟ってしまったんですね。
まぁ楽しければ自分的にはいいじゃんとは言えるけど、この歳になってくるとそんな、かぶいた態度とり続けても意味ないなというのは分かってしまうんである。そういう趣味を持つ人間を攻撃する敵が居るんであれば反発のしようもあるけど、実際、世間はただ無関心なだけですからね。そういうドラマチックな事が起きるのは物語の中だけだ。戦うべき相手も居ないんである。現実はひたすらに冷たいだけだ。
少しは世間に認められるように行動すればいいんじゃないのかとは思うけど、別に僕はそこまで自分のやれることにあんまり期待していないのですよ。成功者になってバリバリやるって状況が全く想像できない。ふつーに仕事を頑張って年金納めて死なないように寿命が切れるまで生きれたらいいやって感じ。成功したってあんまり人生楽しそうじゃないし、だったら楽して楽しいほうがいいやって思っちゃってるんですよね。頑張ってる人を舐めきっている態度だとは思うけど、僕の場合はこれが割とマジな本心だから質が悪い。無理して苦しいことも頑張らないと駄目なんですかね?
ただ、勉強や技術を修得すること自体が好きなんで手を動かす趣味はやめられない。僕が究極的に目指す所は刀鍛冶の匠みたいな技術をマスターしている枯れた技術者たちなんです。ウケる作品を作って世間から認められたいというよりは、その技術の高みから見える光景が見てみたい、というのが僕を動かしている根源です。小説を書くのは、物語を書いていてキャラクターが動き出す瞬間というのを見てみたいからというのが一番の欲求かもしれません。でもって、東方projectが好きなのは日本の原風景を扱った作品で、二次創作してる時に見えてくる光景が美しいからってのがあります。まぁ最近の同人界隈を見てて旬は完全に過ぎたなと思いますけどね。2012年ぐらいがピークでしたね。僕は上述したように世界観が好きなんで、飽きるまでは東方で二次創作を続けるつもりですけど。
二次創作云々以外のことでも、ものを書くということに期待はしている部分はある。自分の内面を掘り下げていった時に、何が有るんだろうと興味がある。村上春樹はコミットという表現を使っていたが、それはもうすでに手垢にまみれた表現かなと感じている。特別なものでははけっして無くて、当たり前のことだけど書いてみて初めて気がつく事が何かあるような気がするんだよね。それは他人に晒すものではない。他人の目を意識しないでも創作をやっていると、自分の中の変わった部分にスポットライトを当てることができると思うんです。それを色彩鮮やかに表現する為に尽くすことは、人生を掛けてもいいことだと僕は考えている。ダルトーンの世界をビビッドに変える事が出来るんじゃないかと思うのです。
で、結局どうなんだろ? 行動するんだったら少しは利益がでるようにしたほうが良い。色々と悩むよりは吹っ切れた方がいいな。