社会的な話題
阪神大震災の30年目の日ということだけど、90年代のことを思い出した。あんまり良い思い出がない。
最近はkindle Unlimitedを契約して、SNSの代わりに自費出版本を読みまくってる。ネットに依存するよりはましである。
ハッピーひとりの人間なので、最近の世の中のやたらベタベタと他人と距離が近すぎる社会には違和感を覚えるのである。幸福な孤独というのもあるもんだ。
どうも基本的にブログでもニュースレターでも一方的に書きっぱなしであり、相手からの意見を求めないところがある。そういうのあんまり情報発信の意味がない。
kindle本をひとまず出版手続きしたけど、ストアに公開されるまでには時間がかかるらしい。ひとまず、これで僕もweb上に商材を持つことができた。
ダラダラと文章を書いてると民主主義の歴史とか現状のことになっちゃった。ほんと、どーすんだろうねこの現状。
ブログの情報発信に求められることが変わってるのではないかなと思う。バズとか人を集めて広告で稼ぐスタイルのやり方は古いかも。
世の中の雰囲気がすごく嫌な感じだ。ちょっと僕はエピクロスに倣って「隠れて生きる」ことにする。
基本的に僕はブログでは「政治・宗教・野球・ジェンダー」については書かないようにしています。どれだけ気をつけても炎上リスクが伴うからです。
どうにもゲスなネットの情報を漁るのがやめられない。フィルターバブルに対抗するには「無知の知」が重要。
SNSについてはそのヤバさばかりを再認識してしまう。現代社会において、SNSが社会の中心と認識されてるのは明らかにやばい。
ネット上に自分の居場所を作るにはどうしたらいいか? あわせてよみたい ネット上に自分の居場所を作るにはどうしたらいいか? ネットをフラフラしてるとこのような増田を見かけた。 anond.hatelabo.jp そういやそうかもなーと思って僕はこのようなブコメを…
僕は以前からそうだなと思っていたけど、最近は災害時はXを見ないように注意する人も増えた。災害時にどんな情報源を使うかは各人用意されたし。
ネットの現状にはわりかしムカムカきてるのだけど、自分にはどうにもできないことに怒るのは精神衛生上良くないなと気がついた。
最近の世の中の流れを見たときに、大恐慌から第二次世界大戦が発生した時とそっくりだと思う。
依存させる習慣の話から、資本主義というのがそのような依存症を強く利用してることに思い至った。まぁ、意識してることが重要である。
僕はSNSの時代が終わって、個人コミュニティがクラスタでつながる時代が来ると思ってるんだよね。ひとまずブログやニュースレターにリソースを使おうと思う。
今日は選挙に行ってきたのでなんか民主主義のあれやこれやについて考えを巡らせている。
最近はSNSよりもRSSリーダーを眺めてる時間が長い。ブログをうまく利用してネットの居場所を確保したいね。
寄稿文を書いたけど、たまにはオピニオンを書きたいねぇ。自分の思ってることとやってることは言行一致させる必要があるな。
ブログオワコンの中でひたすらゴリゴリと個人ブログを続けている。でも、世間の潮流を見てるといずれブログの復権はあるんじゃないかなと思う。
最近のGoogle検索も使い物にならなくなってるし、ネットコミュニティも手頃なところがなくなってる。頭を硬くするのではなく、柔軟に対処したい。
京アニ事件の判決を受けて、考えてることをただただ書いた。いまだに判然としない気持ちを抱えている。
ニュースレターやブログを書いていると、人間の言葉を使った営みについて考えることがある。こうやってものを書くことは、全世界や未来と通じることであるね。
なぜかブログからコーヒーの話まで幅広く書いてしまった。ネットも倫理観とかルールとかちゃんと決めとく必要あるよね。
能登半島地震について考えて世の中の流れを考えたりする。政治的な話題については忌避しがちだけど、ちょっとは対話の練習をした方がいい。
ネットをフラフラしてるとビル・ゲイツ氏がネットへの失望を語ってる記事を見つけた。まぁ分からなくもない。
恵まれない子供達に本を贈るブックサンタという企画があるのだけど、今年もそれに参加する。
ネットをフラフラしてるとネットニュースの質の低下が激しい。世の中の若者は新聞の情報収集に回帰してんだってさ。
どうも調子が悪いのか自分が逃げてることばかりを考えている。ひとまず考え続けることか。