個人的なこと-考え方
いつも根性で走ってしまうので、「頑張らないように頑張る」ができない。なんでまぁ、練習しても楽しくないんだよな。
絵を描いたりとかプログラミングとか色々とできるんだけど、自己評価は地を這うようである。結局んところ、評価軸が他人なんだよね。
まぁ、考えすぎる僕のいつもの癖なんですけどね。こういうことを考えつつも実行するのが大事なのである。
まずい状況にになると個人はジタバタしがちであるが、個人の意志の力で変えられることは驚くほど小さい。タイミングを待つ方がなんぼかましである。
幸せになるには訓練いるよねーと基本的なことに気づきがあった。まぁ、生活をしてるといろんな発見があるもんである。
焦っても騒いでも、結局は問題は一つづつ解決するしかない。それが一番の近道だ。
ログをとってるのにそれを改善に使わないのである。これは片手落ちだ。
何かすぐに状況が変化することは少ない。物事はちょっとずつ置き換わり、そして大きな変化になる。
簡単に結果だけを求めると、何も身に付かずにすぐに失われる。手を動かすことの重要性はそこにある気がする。
色々と現実が嫌になってくると勉強したくなる。現実逃避ではあるが、生きることと学ぶことの関係を考える。
如何にもこうにも人にマウントするために冷笑的な態度を取る姿勢を改めたい。盲信も冷笑も考えてないことには変わりない。
自由時間がありすぎても自分は悩むのである。幸せとは何かわからなくなった。
色々とくどくどと悩んだりするけど、やりたいことにやりたいことをやるのがいいんだよね。あとでやろうとするとモチベーションが保てない。
色々と健康情報とかを漁ってみて思うんだけど、詐欺師が騙しにきたらそれを避けられる人は運がいいよなーと思う。
金のかからない没頭できる趣味って、高ストレスの時こそ力を発揮するよなと思う。現状、そういう状態だから物書き趣味が役立つのである。
自分は内向的な性格だけど、それがどうしたという話である。性格を受け入れた方が生きるのが楽。
仏教のヴェビナーを受けてきたので、色々とそれ系のことを考えていた。人生を楽にするには使える考え方だ。
なんじゃろ、今日は気分最悪だった。あんまそういう時に理由を探しても碌なことにならん。
結局、土壇場で一番有効な考え方って「諦めないこと」だとか一歩ずつ着実に歩むことだよな。
日曜日夜のサザエさん症候群で仕方ないのでコーピングのためにジャーナリングをやった。まぁ、思考停止の方法って持ってると便利なんすよ。
不調の時に自分を支える学問や哲学を集めている。現状の状況を考えるに、こういうのが大事だなと思う。
自分の承認欲求について色々と考えを巡らせてみたのだが、承認欲求よりも自己承認の弱さが問題だろう。もうちょっと気楽に生きるべきだ。
けっこー、心が疲れてきた時は音楽に触れたりとか美術品を見たりとか大自然の中に行くのが良さそうだ。昔からこういうので癒されるのはよくあった。
調子崩してやがるなと思う。またしても思考の堂々巡りが始まってるし、多少休まねばならぬ。まぁ、個人開発も楽しいし、それなりに楽しいこともあるんだけどね。
過集中の後の虚脱状態である。久々にこんなバランスの悪い、コントロールできない感情になってるなと思う。
最近はどうも怒りっぽいブログを書いてるように思う。ちょろっと気をつけんとまた病むな。
僕が考える芸術とか文学はこんなものである。ある種の陰影であるとか、翳りがあるものが好きだということである。
0から1を生み出すアイディアって需要だよな。1を作ることができたなら、あとはシステム化したらそれを無限に増やすことが可能である。
なんだかんだで正しい考え方をできたら人生が楽になるよなと思う。それなりに心理学とか勉強したけど、このアプローチが一番いいと思う。
どうにも僕は比較をする癖が抜けないのである。ひとまず、僕自身の生きる理由としては「お役に立てば、よし」と考えている。