個人的なこと-考え方
自分の承認欲求について色々と考えを巡らせてみたのだが、承認欲求よりも自己承認の弱さが問題だろう。もうちょっと気楽に生きるべきだ。
けっこー、心が疲れてきた時は音楽に触れたりとか美術品を見たりとか大自然の中に行くのが良さそうだ。昔からこういうので癒されるのはよくあった。
調子崩してやがるなと思う。またしても思考の堂々巡りが始まってるし、多少休まねばならぬ。まぁ、個人開発も楽しいし、それなりに楽しいこともあるんだけどね。
過集中の後の虚脱状態である。久々にこんなバランスの悪い、コントロールできない感情になってるなと思う。
最近はどうも怒りっぽいブログを書いてるように思う。ちょろっと気をつけんとまた病むな。
僕が考える芸術とか文学はこんなものである。ある種の陰影であるとか、翳りがあるものが好きだということである。
0から1を生み出すアイディアって需要だよな。1を作ることができたなら、あとはシステム化したらそれを無限に増やすことが可能である。
なんだかんだで正しい考え方をできたら人生が楽になるよなと思う。それなりに心理学とか勉強したけど、このアプローチが一番いいと思う。
どうにも僕は比較をする癖が抜けないのである。ひとまず、僕自身の生きる理由としては「お役に立てば、よし」と考えている。
ブログを書くときもあんまりネガティブなことばかりを書くのではなく、建設的な結論にしてるのだけど、これは色々役立つのだ。
普通に平々凡々と土曜日の休日を過ごした。最近はいろんなことを考えるが、普通に仕事をしながら過ごした方が人生楽だなと思う。
人生をフラフラと生きてると、夢を追っかけてあくせくする生き方がどうでも良くなった。プロセスそのものを大事にするのが大切ね。
最近のあれこれを思い出すと、間違いなく僕は老害化してるのである。。書いてるのは同族嫌悪みたいなものです。
社会で生きる事についてはこんな風に考えている。 あわせてよみたい 社会で生きる事についてはこんな風に考えている。 今日は朝から耳鼻科に行ってきて、その後、来週のための食材の買い出しに行き、海辺でぼんやりしてきて今に至る。今はクーラーの効いた自…
やっぱこの母親、嫌いなんだよね。それでもまぁ、多分、自分がやらないといけないことなのだろう。
夢は見るだけでは叶わない。まずはそれを具体的な目標にまで落とし込み、実行をすることが重要。
ネガティブ思考を拗らせて酷いアクシデントを呼び込むのはアルアルである。状況を変えるには自分を変えるしかない。
ちょっと最近は色々とファッション関係とか興味が湧いたから色々と試してみる。人間の本質が外見に現れるというのも、ある意味では真かなと思う。
思想の使い方について考えたりするけど、僕はこう思う。前もって自分が信用できる「綺麗事」を決めておき、それを実際に生活の中で使うのが重要だ。
自意識過剰だった自分の過去を振り返ってみたけど、加齢でなんとかなるもんである。自分探しは若いうちで終わらせといた方がいい。
要するに、過去に囚われるのでもなく未来を不安に思うのでもなく、今この時に集中しようということですよ。
体調が悪いが、筋トレはやる。こういうのはまぁ、自分の意思のトレーニングも兼ねてるのよね。ちょっとずつでも自分がやれることが幸せになるコツよ。
なんか、人と話しているときに自分の職業差別の偏見に気がついた。。改めんとならんことだよな。
日曜日は家のことを色々とやっていた。夢を実現する方法などを色々と考えてたけど、具体的なTODOを書き出して一つづつ実行することだね。
仏教の「慢」であるとかソクラテスの「無知の知」はビジネスやメンタルヘルスに援用可能だと思った。自分なりのバランスの取れた自己評価について述べる。
どうにも全く冴えない雨の日であるけど、人生をうまくいかせるコツを考えてみた。保守と革新のバランスというのはやはり重要。
人間の意思の力というのは小さなものだから、自分の中にある変えられるものだけにリソースを集中するのがいいのである。過去にある様々な哲学や学問はそれを教えてくれる。
「自己啓発の呪い」という概念について考えてみた。能力の有無で人を差別するような考え方はダメね。
今日はダラダラした1日だった。努力は自分でやることは素晴らしいことであるが、他人に強要するのは愚かである。
カウンセリングに行ってみて、自分の問題点が見えてきた。まずは自分をちゃんと認めることは必要だろうなーと思う。